前回説明したように、福沢諭吉は、Freedomの意味をよく分かっていました。しかし残念ながら、Freedomがキリスト教の信仰から生まれ、キリスト教の教義そのものだということを十分理解できなかったようです。
Freedomがキリスト教の信仰から生まれたことを、明治初期の日本人の多くは知らなかったか、あるいは公言しませんでした。日本政府が江戸時代以来のキリスト教禁止を解いたのは、明治6年で、多くの日本人はキリスト教に反感をもっていたのです。
明治5年に中村正直は『自由之理』を書いて、Freedomの考え方を日本に紹介しました。この本は当時のベストセラーになり、この本によって日本人はFreedomの意味をかなり正確に理解しました。ところがこの本には、Freedomがキリスト教の信仰から生まれたという大事な事実が書かれていませんでした。『自由之理』は、ジョン・スチュアート・ミルが書いた『On Liberty』の翻訳書なのですが、原典にFreedomがキリスト教から生まれたことを書いていなかったからです。
Freedomは、人間を「イエス・キリストを信じているから心が正しい者」と「異教徒だから心が邪悪なままの者」の二つに分けています。ところが、『On Liberty』はキリスト教には一切触れず、人間を「判断能力が成熟した人」と「そうでない人」に二分して、それぞれへの対応を説明しています。この本ではFreedomを単なる法的な原則として論じているのです。そして、キリスト教徒でなくても努力すれば「判断力が成熟した人」になれるように受け取れます。
福沢諭吉が子供のころ、近所にある神社の御神体が石であることを知り、それを取り払って別の石を置き、神罰が当たるかどうか試してみました。しかし神罰が当たらなかったので、それ以来宗教を信じなくなった、と自伝に書いています。彼は並外れて合理的な頭の持ち主だったのです。
大人になって西洋文明を理解しようと努力し、その一環としてキリスト教まで勉強しました。彼は、プロテスタント宣教師であるアレクサンダー・ショーを子供たちの家庭教師として雇い入れ、ショーのため自分の家の敷地内に西洋館を新しく建ててやりました。また、ショーを慶應義塾の英語の教師としても雇いました。福沢諭吉の子供の何人かは、その後キリスト教徒になっています。
しかし、もともと宗教的な体質ではなかったためか、宗教の持つ力をよく理解できなかったようです。彼が書いた『文明論之概要』を読むと、西洋人が道徳的に優れているのは、文明が発展した結果であって、キリスト教の信仰の結果とは考えていません。そのため、キリスト教とは無縁の日本人も西洋文明を学べば、西洋人と同じような道徳的域に達し、近代国家を作れる、と考えました。