福沢諭吉はFreedomの視点から『脱亜論』を書いて、日本人に警告した

前回までに述べたように、福沢諭吉は、Freedomの考え方を理解していましたが、その背景にキリスト教の信仰があることは、よくわからなかったようです。このように彼のFreedom理解は不十分ではありましたが、日本が近代国家を作って独立を維持するためには、Freedomの考え方が必要なことはよく理解していました。

彼がFreedomを日本人に薦めるために書いたのが、『学問ノススメ』です。この本は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という冒頭の文章が有名です。しかし他にも、「一身独立して一国独立すること」という一章も有名です。

この章には、「独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり」と書いています。

つまり、「何が正しいかを自分で分かる者は、自主的に行動することができるので独立している」と、Freedomの考え方を述べているのです。そのうえで、「実学を勉強しなさい」と学問をススメています。

『学問ノススメ』は、少なく見積もっても70万部売れました。当時貸本が盛んだったし、海賊版も多数出版されたので、300万人以上の日本人が読んだだろうと言われています。当時の日本の総人口が3500万人ですから大変な数です。日本の近代化はこの本があったために成功した、ということが言えるかもしれません。

福沢諭吉は、このようなFreedomの視点に立って、支那と朝鮮が「正しいことを行え」「仲間と助け合え」という原則を実行する気がなく、近代国家を作ることが出来ない。だからいずれ欧米列強の植民地になるだろう、と判断しました。

また、支那と朝鮮という「悪友」と付き合っていると、欧米列強は日本も同類だと判断してしまいます。これを福沢諭吉は恐れました。そこで『脱亜論』を書いて、日本人に警鐘を鳴らしたのです。

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