社会全体を統制するのは不可能だ、ということに社会主義は気づいていない

ハイエクは自由主義を熱烈に擁護していますが、それは「神の見えざる手」によって、資源配分が効率的に出来るからではなく、別の理由からです。

人間は、新古典派経済学者が言っているような合理的判断などできません。そもそも、外界を直接に認識することができず、自分の脳の中にある「分類の体系」を外界と思っているだけです。また、市場に起きていることすべてを迅速に知ることもできません。

このように人間は無知で合理的な決定ができないのですが、規制がなく自由な市場では、人間には様々な選択肢があり、色々に試すことができます。試行錯誤の結果、幸運に恵まれた個体が生き残るのです。これに対し社会主義経済では、人には選択肢がなく試行錯誤できないので、チャンスを逃してしまうのです。

目的さえ決まっていれば、民間企業が重複して研究開発する資本主義より、特定の目的に資源を集中する社会主義の方が優れています。社会主義国家であるソ連の停滞がはっきりしたのは、資本蓄積が飽和し、製品が複雑化した1960年代からです。

それは、製品が複雑化して情報量が飛躍的に増えたために、情報を管理しきれなくなって長期的な計画が立てられなくなったからです。資本主義の利点は、与えられた目的達成を効率的に行うことではなく、目的を探し変更する柔軟な仕組みであることです。

ハイエクは、企業と社会は人間の集団という点では同じだが、性質が違うと考えています。企業は目的を持っている組織(自動車などの製品を生産・販売し儲けるなど)なので、その行動を統制して目的に向かって進むことが可能です。

ところが社会は、国民が集まってできているだけで、それ自体の目的を持っていないとハイエクは考えています。各自は利己心に基づいて行動するので、統制することができません。それを無理に計画的に動かそうとしても、意図しない混乱が生じるだけなのです。

社会主義者たちは、社会全体を統制できないという事実に気づいていない、というのがハイエクの最も重要な主張です。

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