新古典派は、人間は合理的に判断する、と考えている

昨日まで、ハイエクの脳科学的な研究結果と政治哲学の主張を見てきました。

ハイエクは、人間は外界を直接認識できない、と考えています。多くの人は、目や耳から外界の情報が入ってきて、その情報を人間は直接分析できると考えていますが、ハイエクはそれを否定しているのです。そして最近の脳科学者の多くは、ハイエクの主張が正しいと思い始めています。

人間の頭の中は白紙ではなく、自分自身の経験や遺伝的に先祖から受け継いだ経験に基づく分類の壮大な体系があります。そうして、目や耳などから新しい外界に関する情報が入ってきたら、脳はそれを分類の体系に照らし合わせて、それを修正するのです。

例えば、今まで経験したことが無いような巨大な地震を経験したら、「こんなに激しい恐ろしい地震もあるのだ」という情報を頭に中の「地震の分類」に追加するわけです。「地震の分類」が修正されることによって、それに関連する多くの分類(建物、国家予算、自衛隊の活動など)の内容も修正されます。脳の中の分類の体系は、絶えず変化しているのです。

個人ごとに経験した内容が違うので、脳の中の分類の体系も個人ごとに違います。従って優先順位も個人ごとに違います。国家が決めた優先順位を国民に押し付ける社会主義の思想は人間を不幸にする、人間にとって自由ほど大切なものはない、というのがハイエクの政治哲学です。ハイエクの経済理論は、彼の脳科学的知識と自由への絶大な信頼が基になっています。

一方、今の経済学の主流は、ミルトン・フリードマン教授に代表される新古典派経済学です。この学派も自由主義を支持するので、その点ではハイエクの学説と大きな違いはありません。違うのは脳科学的な理解です。

新古典派の経済学者は、人間の脳は外界の情報を直接に分析できる、と考えています。人間は、その情報を合理的に分析できるので、同じ情報に接したら同じ判断をするはずだと考えます。これを「合理的期待説」と言っています。

全ての人間の頭の中は同じで、人間は「金太郎飴」なのです。従って、多くの情報をコンピュータで解析すれば、経済の予測は可能だ、と考えるのです。