「日本国憲法」という、品格に欠け、日本に悪影響しかもたらしていないものは、無効です。こんなものが無効であることは、専門的な知識がなくても、常識を働かせればすぐに分かります。
ところがほとんどの日本人は、「日本国憲法」のいかがわしさにうすうす気づいているのに、敢えてそれが無効であるという事実に目をつぶっています。従って、「日本国憲法」の法律的な問題点を指摘しても、世論があまり動かないのです。
その原因は、日本人が「法的安定性」を求めすぎるためだということに、私は次第に気づいてきました。いままで築き上げてきた社会的関係が突然ご破算になることを恐れ、社会のいびつになった個所を修復できないために、問題がどんどんと大きくなっています。日本の安全保障環境がどんどん悪くなっているのに、それに有効な対処をしようとしません。
これは、敗戦後のおかしな教育に洗脳されたことが原因です。しかし、それだけではありません。社会を自分たちの手で良くしていこうという気概がどんどん弱まっているのも、大きな要因です。
国家や社会とは、多くの仲間が集まった集団のことです。だから仲間がみんなでその集団を良い方向に変えていこうという気持ちさえあれば、それは実現できます。ところが近年の日本人は、国家や社会を自分たちの力で変えられる組織だと考えるのではなく、川や岩のような自然物のような感覚で捉えているようです。
そして、その自然物を自分の都合の良いように変えることを、なにかしら正しくない、と感じているようです。消費税の増税もその一例です。本当は反対なのに、「これは自然現象のようなものだから、逆らっても無駄だ」と考えるのです。
自然物をそのままの状態にしておいて、自分たちと共存しようという感覚になっているのですが、これは明らかに大乗仏教の影響を受けています。
大乗仏教は、人間と自然に本質的な区別はないと考えます。どちらも本当は仏様であり、同じだという理屈からです。そして自然物を、自分の欲望から都合の良いように変えようとするのではなく、あるがままにしておくのが良いことだ、と思ってしまうのです。
近年、日本人の発想がどんどん大乗仏教化しています。それとともに社会を変えていこうという気持ちが薄らぎ、日本は活力を失っています。憲法問題も、その一つの表れです。私たちは、もう少し変化に対して積極的にならなければなりません。