共産主義国家にも自由はある

共産主義は、キリスト教の教義を流用していました。だから共産主義にも、自由の考え方があります。

1977年に制定されたソ連憲法の第39条には、「ソ連邦の市民は、政治的及び個人的な権利と自由のすべてを享有する」と規定されていますが、後半部分には「市民による権利と自由の行使は、社会と国家の利益を損なうものであってはならない」とも書かれています。

日本人はこの条文の後半部分に注目して、「社会と国家の利益を優先するソ連には、やはり自由などなかったのだ。ソ連で政府に反対したら、粛清されたり強制収容所にぶち込まれたりしたではないか。共産主義国家には自由はないというのは、いまや世界中の常識ではないか」、という感想を持つ人が多いです。

しかしそういう論法ならば、日本にも自由はありません。日本国憲法の第12条は、次のように規定しています。「・・・国民は、これ(自由及び権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」

日本国憲法はアメリカ製ですから、「自由には制約がある」という考えは、キリスト教を基礎にしているアメリカにもあるということになります。

また「共産主義社会は、粛清や強制収容所に反対派をぶち込んだから、自由はない」と主張するのであれば、アメリカにも自由はありません。なにしろアメリカは、黒人の自由を奪い奴隷にして綿花畑でこき使っていたのです。

第二次世界大戦がはじまった時、アメリカは日系のアメリカ人の自由を奪い収容所にぶちこみました。今でもニューヨークやロサンジェルスなどの大都会ならいざ知らず、少し田舎に行けば日本人は人種差別されます。

キリスト教系の社会と日本とでは、自由の考え方が違うのです。

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