マルクスが提唱していた共産主義とは、「私有財産を廃止して人間を悪しき制度から解放したら、人間の心が本来の姿に戻って正しくなる。そうなれば、他人を助けるために喜んで働くようになる」というものです。つまり、人間は隣人愛を発揮するようになるわけです。
これはキリスト教の自由の考え方の前半部分と同じです。キリスト教の自由の前半部分は、「人間がイエス・キリストを信じれば、神様は人間の心を正しくしてくれる。そうなれば、人間は隣人愛を発揮して、他人を助けるために喜んで働くようになる」というものです。
ちなみにキリスト教の自由の後半部分とは、「イエス・キリストと同じ心で他人を助けようとするときには、世俗の法律やルールを破っても構わない」というものです。
マルクスは、共産主義のもっとも基本的な部分の考えを、キリスト教から持ってきています。ところがマルクスの考え方は、間違っていました。ロシア革命によって私有財産を廃止したのもかかわらず、ロシア人の心は正しくならなかったからです。
それはマルクスの考えが、単純すぎたからです。マルクスは、「私有財産制度を廃止すれば、人間の心は変わる」と無邪気に考えていました。
キリスト教は、マルクスのように無邪気ではありません。人間の欲望(原罪)は非常に根が深く、そんなに簡単に消せる程度の甘いものとは考えていません。
キリスト教は、人間がイエス・キリストを信じれば、神様が人間の心を正しくしてくれる、と教えます。信者は毎日毎日、「イエス・キリスト様、私はあなたを信じます」とお祈りをします。この繰り返しによって、その人間の深層心理が変わり、自分の心を正しくしようと努力するようになります。
キリスト教は、自分の心を変える仕組みを備えているのです。ところがマルクスの場合は、社会の仕組みを変えれば良いという考えで、自分の心を変えるというプロセスがありません。