マルクスが言うように「好きな仕事を自主的にするだけで、本当にみなが豊かな生活を送れる」というのは、買って使いたくなるような物を作るという市場のメカニズムを無視しており、現実から完全に遊離しています。
それだけではなく、配分の問題もあります。マルクスが言うように、人間は本当に必要なものだけを要求するような質素な生活に甘んじることができるのでしょうか。
好きな彼女が出来たら、彼女の気を引くために贅沢な物が必要になるし、みんなのために働くよりも彼女のために働くようになるのではないでしょうか。異性の気を引くというのは生物としての本能の問題で、人間性の改造によって克服できるような簡単なことではないでしょう。
マルクスは、「共産主義社会になったら、労働することが生きがいになり、幸せになれる」と言いました。しかし、なぜ働くことが生きがいになるのか、納得のいく説明を彼はすることができませんでした。
「人間疎外」とか「弁証法」などという哲学用語を使って説明しようとしたのですが、事実に基づいた科学的なものではなく、単に頭の中でこれらの言葉を並べていただけです。
いくら社会体制が変わったからといって、仕事の本質は同じはずです。仕事を一生懸命にやれば、面白くなってきます。それと同時に緊張が続き、疲れてきます。私は昔から、マルクスの言葉にどうにも納得できませんでした。
事実、ソ連時代のロシア人が働き者だったという話は聞かないし、今の支那人(支那は建前上は共産主義国家です)が自分たちの生活に満足した幸せいっぱいの人たちだ、などと言っても笑われるだけです。
共産主義のキャッチフレーズである、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というのは、どう考えても実現が不可能です。