マルクスは「生産力が十分にある社会が共産主義化したら、人々は自分のためではなく、みんなのために自主的に働き、幸せになれる」と主張していますが、これに対しては昔から反論があります。
仕事には固有の知識と技術が必要であり、普通の人は特定の技術しか持っていないので、一つの仕事しかできません。インフルエンザが大流行し医者が足りなくなっても、普通の人は医学の知識が無いので、患者を治療したくてもできません。
また仕事には時間的な制約もあり、好きな時だけ仕事をするというわけにはいきません。自動車の組み立てラインなど後工程が詰まっているような仕事を自主的な労働に任せておけば、どうしようもありません。いくら好きだからと言って、知識も経験もない仕事を「自主的に」することはできないのです。
マルクスはどういうつもりで「自主的に働く」と言ったのでしょう? 自分の仕事に誇りを持ち、仕事が好きな人は今の日本にも大勢います。何も共産主義社会でなければならない、ということはありません。
自分では十分立派なものを作ったと自負している場合でも、他人から見ると話にならない品質かもしれません。その場合彼は資源を浪費して、単に産業廃棄物を作っているだけです。気分にのって作りすぎれば在庫になるだけです。
売れる物を作るという市場のメカニズムを無視して好きな仕事を自主的にするだけで、本当にみなが豊かな生活を送れるのでしょうか。マルクスの理論は、どうしても現実にあてはまらないのです。