マルクスが共産主義を唱えていた19世紀後半は高度経済成長期で、みんなが必要とする物資を十分に供給できる社会がすぐにも来る、と思われていました。ただし資本家が富を独占するので、労働者階級は依然として物資の不足に悩むだろうから、革命を起こさなければならない、というわけです。
革命が起きたら、いろいろな物資が資本家から没収され公共の所有になりますが、マルクスはそれを公共使用にしようとは考えていなかったようです。例えば、資本家から自動車を没収した場合を、考えてみましょう。ソ連や中共ならばその車をバスに改造し、市内を循環させて公共使用しようとするでしょう。しかしこのようなことは、自動車の少ししかない貧乏国だから起きる現象です。
生産力が十分ある社会では、自動車数は相当多いはずです。しかし資本家が一家で30台ぐらい持っているのに、労働者は持てません。そこで革命を起こして自動車を資本家から没収すれば、一家に1台か2台ぐらいの数になるはずです。そこでこれらの自動車を駐車場に集め、人々に勝手に使わせるというのが、マルクスの考えでした。
マルクスが、「革命は先進資本主義国で起きるはずだ」と考えたというのは、こういうことです。ところが共産主義革命がロシアや支那のような後進国で起きてしまったために、すべての筋書きが狂ってしまいました。
自動車の数が徹底的に足りないので、まずは自動車を大増産しなければなりません。そうしなければ、誰もが自由に自動車を使える豊かで幸せな共産主義社会にならないからです。そこで強力な中央集権国家を作り、労働者を無理矢理働かせ賃金を低く抑え、余った金で自動車工場を作ろうとしました。何のことはない、資本家が国家に変わっただけでした。
共産主義というのは国家を否定するはずですが、逆に独裁国家を作り、国家資本主義をやろうとしたわけです。結局、ソ連や支那の労働者は労働組合に加入することも認められず、先進国よりはるかにひどい搾取に遭いました。