マルクスは「史的唯物論」を唱えて、人間の社会は様々な社会体制を段階的に経過し、最終的には共産主義社会になる、と主張していました。これはキリスト教の教義と同じ構造です。
原始共産制社会(エデンの園) → 私有財産制度が発生(原罪が発生) → 階級支配と搾取(人間の堕落) → 共産主義革命(最後の審判) → 共産主義社会(神の国)が実現し、人間の究極的な開放が実現する
キリスト教は、「神の国」は必ず実現する、と言っています。なぜならばそれが神の意思だからです。マルクスも、「共産主義社会は必ず来る」と言っています。なぜならばそれが歴史の必然だからです。「神の国が必ず来るという証拠を示せ」と言われても、それは無理です。神を信じている人が、「必ず来る」と信じ込んでいるだけなのです。
同じように、「共産主義社会が必ず来るという証拠を示せ」と言われても、困ります。マルクスやエンゲルスなどは、一所懸命にそのことを説明していますが、説得力がありません。ただ単に共産主義者がそう信じているだけなのです。つまり、キリスト教が宗教であるならば、共産主義も同じように、立派な宗教なのです。
余談ですが、マルクスの唱えた「史的唯物論」というのは、古代奴隷制社会とか封建制度などヨーロッパ社会に実際にあった社会が、他の地域にもあったはずだという説です。これを信じ込んだ歴史学者が、日本の社会を無理矢理にこれに当てはめようとしました。日本には奴隷などいなかったのに、古代日本には奴隷がいたはずだ、と頑張って学問を混乱させました。
マルクスが活躍していた19世紀後半には、多くの西欧のインテリはキリスト教を素直に信じられなくなっていました。そこで神を否定し、インテリがもっと信じやすい「科学」を表に出して「人間の解放」をマルクスは唱えました。
共産主義や社会主義は大昔からありましたが、マルクスはそれらを「空想的」と言って軽蔑し、自分の唱える社会主義や共産主義を「科学的」と自画自賛しました。