民族という概念は近代になって生まれた
「国語」というのが出来たのは近代になってからです。それ以前は方言の違いが大きくて、少し離れた地域の住民とは話が通じませんでした。言葉が通じなければ仲間だという感情が生まれないのも当然です。
「国語」というのが出来たのは近代になってからです。それ以前は方言の違いが大きくて、少し離れた地域の住民とは話が通じませんでした。言葉が通じなければ仲間だという感情が生まれないのも当然です。
ダライ・ラマやパンチェン・ラマはチベット人とモンゴル人の尊敬を集めていたので、支那の皇帝も敬意を払わざるを得ませんでした。このように、支那とチベットの関係は、国と国との関係ではなく、チベット仏教の指導者と支那の皇帝の個人的な関係だったのです。
インド人は、性的なことを表現することが好きで、「カーマ・スートラ」など性の教科書とでも言うべき古典もあります。そのような「性の技術」が大乗仏教とともにインドからチベットに伝わりました。
私たちはチベットに対して、貧しくて支那にひどい目に遭わされている可哀想な国というイメージを持っています。ところが7世紀のチベットには吐蕃という王国があって、唐と戦争をしても一歩も引きませんでした。
最近、支那政府がウイグル人を弾圧している、というニュースが急に増えてきました。イスラム教の信仰やウイグル語を話すことを禁じ、それに従わない者...
台湾が歴史的に支那の一部であったことはありません。その実態を無視して中共も中華民国も「一つの中国」を主張したので、日本人は実態が分からなくなっただけなのです。
石垣島の島民が台湾の原住民に殺されるという事件が起こりました。日本政府が清に抗議したところ、清政府は、「原住民は国家統治の及ばない者であるから、日本が殺人を犯した原住民を討伐することに異議を唱えない」という返事をしました。台湾が清の領土か否か、非常にあいまいな態度をとったのです。
天安門事件を起こした支那を世界中が制裁しました。ところが日本がまっさきに制裁破りをしたために、欧米の制裁もうやむやになってしまいました。支那をここまで増長させた元凶は日本なのです。天安門事件30周年の今年、「この時、日本は判断ミスをした」という反省の意見が多く出ています。
ソ連のゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」を始めて、政治の自由化・民主化を推進しました。この波が支那にも押し寄せて、支那共産党のトップである胡耀邦が、言論の自由化政策を推進しました。これに反対したのが、鄧小平でした。鄧小平は、経済的には自由主義・市場解放を支持しましたが、政治的には共産党の独裁を堅持しようとしていたのです。
もしも支那が一国二制度を崩し香港を本土並みにするならば、トランプ政権は「香港政策法」を廃止して、香港を本土並みの扱いにする恐れがあります。そうなれば香港の存在価値がなくなり、ますます寂れます。