キリスト教や神道は人間の生き残り戦略に合致している

人間は、ミラー・ニューロンを発達させ、道徳を作り、自然に人助けをする性質を身につけて、他人と仲良くできるように長年にわたって努力してきました。その一方で、人を助ける者とそうでない者を見分ける能力を身につけ、噂話を盛んにして、互いに助け合う仲間を選別しています。

この二つの事実から、人間は集団を作って生存競争で勝ち抜こうという戦略を持っていることが分かります。自分が所属している集団を強くするために、メンバーの結束を強めその数を増やそうとするのです。その一方で、仲間としてふさわしくない者は排除します。

このような視点からキリスト教を見てみましょう。キリスト教は、信者を仲間と考えており、異教徒を仲間とは考えていません。キリスト教が重視する「隣人愛」は、信者である仲間とは助け合いなさい、という意味です。異教徒などの仲間でない者を助けることまでは言っていません。キリスト教は、「助け合い」と「排除」の両方の考え方を備えており、生物としての人間の生き残り戦略に合致しています。

西欧キリスト教社会は、生物としての人間の生き残り戦略に沿った構造になっているので、社会に無理がかかっていません。そのせいで、集団に所属する者が守るべき道徳をバランスよく守ることができています。
1、仲間が困っていれば助けること
2、所属する集団に忠誠を示すこと
3、正義を行い、他者を公平に扱うこと
4、伝統を尊重し、正統な権威を敬うこと
5、身辺を清潔にし、肉欲から遠ざかること

西欧キリスト教社会が近代化して安定して豊かな社会を作ることができたのは、社会の道徳がバランスよく保たれていたからです。

神道には誠の考え方がありますが、これはキリスト教の隣人愛とよく似ています。誠の「無私の心になれば、なすべきことが分かる」というのは、「神と同じ心になれば、他人を助けるために自分が何をすれば良いかが分かる」という意味です。日本が近代国家を作ることができたのも、神道の考え方がキリスト教とよく似ているからです。

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