日本人の祈りは天照大神に通じる

日本人は、自分たちが「家(企業)」に所属していると考えています。そして同じ家で一緒に働く人間を仲間と考え、お互いに助け合います。

日本という国がただそれだけの構造であったならば、多くの企業が日本全体の利益を考えずに自社の利益のみを主張して、日本はバラバラになってしまいます。日本人が狭い仲間内で助け合うだけで社会全体が助け合うことをしなかったならば、日本は近代国家になれなかったでしょう。

実は日本には、「家」の他に日本人どうしを互いに結びつける仕組みがもう一つあります。それが神道です。日本は八百万の神々がいらっしゃるところで、神道は多神教だと考えられています。しかし八百万の神々は平等ではなく、神々の間でも序列があります。

村々にある神社には、その地域を守る神様が祀られています。その地域に住む氏子たちは、お祭りなどの行事を共に行う仲間であり、ともに助け合っています。この地域を守る神様を指導・監督しているのが、日本全体を守っている天照大神です。

つまり、日本にある全ての神社は、天照大神を祭る伊勢神宮の分社なのです。伊勢神宮には天照大神の他に豊受大神をも祀っているので、両者の関係が問題になります。伊勢神宮の古伝は、天照大神と豊受大神はまったく同じ神様だとしています。

伊勢神宮に祀られている神様の偉大さを表現するのに、「太陽の神様だ」というのと「食物の神様だ」という二つの説明をしたために、あたかも別の神様のように見えるのです。考えてみれば、世界や宇宙を司る偉い神様に固有名詞などあるはずがありません。

キリスト教とユダヤ教の神様を「ヤハウェ」と呼んでいますが、これは「神様は永遠に存在する」という意味です。神様の特性を説明しているだけで、固有名詞ではありません。イスラム教の「アラー」は、ヘブライ語の「ヤハウェ」をアラビア語に翻訳した言葉なので、やはり固有名詞ではありません。伊勢神宮に祀られている神様に固有名詞がないということは、偉い神様であることの証拠なのです。

伊勢神宮が日本の神社の総本社なので、日本人が地域の神社で神に祈れば、その祈りは最終的に天照大神に届きます。