満州やウイグルは、もともと支那ではない

前回までは、日本や西欧の移民状況の説明をしてきましたが、これから「支那人は移民を利用して国を乗っ取る」という話をします。支那は日本を乗っ取る計画を徐々に進めていますが、まずは支那がすでに乗っ取った国の説明をします。

支那の領土はおよそ2000年前の漢帝国から400年ほど前に滅びた明帝国まで、ほとんど変わっていません。満州・チベット・ウイグル・内モンゴルは領土になっていませんでした。

満州族は支那人ではなく、支那人が軽蔑している北方の狩猟民族でした。彼らは古来、いくつかの部族に分かれて満州に住んでいましたが、17世紀初めにアイシンギョロ(愛新覚羅)・ヌルハチが現れて全満州を統一しました。その息子が支那に攻め込んで清王朝を開き(1636年)、孫が明王朝を滅ぼして(1644年)全支那を平定しました。

満州人の歴代皇帝は名君ぞろいで、東アジアを平定して大帝国を作り上げました。その版図には、満州・支那・ウイグル・チベット・内外モンゴル・シベリアの一部・カザフスタンの一部が含まれており、今の中共が実効支配している領土よりもかなり広かったのです。

満州人たちが平定した領土には多くの民族がいたのですが、満州人は全領土を一つの王朝にまとめたわけではなく、今のイギリスのような同君連合の組織を作りました。イギリスは、イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの独立国がそれぞれエリザベス女王を君主に戴いて、国家連合を作っています。

満州人たちが支配していた領土も同じ構造で、アイシンギョロ家の当主が、満州のカン(王)・モンゴルのカン・ウイグルのカン・清の皇帝・チベットの保護者を兼務していました。清は満州人が支那地域に建てた王朝であって、満州やモンゴルなど支那以外の地を含んでいません。

1911年に辛亥革命が起こり、清王朝が崩壊し中華民国が出来ました。法論理的には、辛亥革命は支那の内部で起きたことであって、他の地域とは無関係です。ところが中華民国はここで論理のすり替えを行い、アイシンギョロ家が支配していた全地域が清王朝の領土であり、中華民国はその領土を継承したと主張したのです。