20世紀になるまで満州に支那人はいなかった
満州はもともと満州人の本拠地であり、支那人の入植を長い間禁じていました。ところが1900年になって清朝の皇帝は方針転換をし、支那人の農民が満州に移住することを奨励しました。
満州はもともと満州人の本拠地であり、支那人の入植を長い間禁じていました。ところが1900年になって清朝の皇帝は方針転換をし、支那人の農民が満州に移住することを奨励しました。
満州人たちは征服した領土にイギリスと同じような同君連合の組織を作りました。満州王であったアイシンギョロ家の当主は、満州王・モンゴル王・ウイグル王・清の皇帝・チベットの保護者を兼務していました。清は満州人が支那地域に建てた王朝であって、満州やモンゴルなど支那以外の地を含んでいません。
移民の流入を嫌がったイギリスでEU離脱論が起こり、2016年にその賛否を問う国民投票が行われました。EUから離脱すると関税が復活するなどイギリスは経済的に不利になるので、イギリス国民はEU離脱を望まないだろう、と多くのマスコミは予想しました。ところが蓋を開けてみると、EU離脱派が勝ってしまいました。イギリス人は少々の経済的不利益を受けても移民を排斥するほうを選んだのです。
移民に寛大なグローバリスト・経済的自由論者も、移民を排斥する民族主義者・保守派も、共にキリスト教の信仰から生まれたFreedomに基づいて、彼らの主張を組み立てています。発想の根っこは同じですが、その解釈が違うので、正反対の結論がでてしまったのです。
仲間を助けようという隣人愛の心からすることであれば、既存の法律や価値観を破っても構わない、というのがFreedom(自由)の考え方です。製品を安く売って仲間を助けるためであれば、民族という枠組みを壊してもやむを得ないという考え方も、成り立つのです。
前回は昔から地元に住んでいた国民が移民をどう見ているかを書きましたが、今度は移民たちが何を考えているかを考えてみます。 生活の厳しい故...
このグローバル主義の影響によって、外国人労働者の扱いが少しづつ変わってきました。外国人労働者は期限が来たら帰国することが前提になっていたので、家族を連れてくることは認められていませんでしたが、後に家族を呼び寄せることができるようになりました。
外国から来た労働者たちは、何とかして西欧に残ろうとして、あの手この手を使い始めました。その時に彼らに味方したのがグローバル主義です。
1960年代以降、第二次世界大戦の戦禍から復興した西欧人は、生活のために移民になる必要がなくなり、逆に経済成長によって人手不足に悩むようになりました。そこで後進国から労働者を受け入れるようになりました。
日本の少子化の最大の原因は、年収の少ない日本人が多いことです。