西欧諸国の移民問題は、キリスト教が原因

西欧のあらゆる国が移民問題で揺れています。安い賃金で働く移民によって、多くの生粋の西欧人が失業者になり、経済的に困窮し、生きる意味を失いかけています。

スウェーデンやイギリスでは、イスラム系の移民集団がネイティブのスウェーデン人やイギリス人少女を多数強姦していました。それをマスコミや警察が長い間隠していたために、大問題になりました。

ドイツのケルン市など各地では2015年の大晦日に、イスラム系の移民が集団でドイツ女性に対して性的な暴行を行いました。この事件は日本でも大きく報じられたので、記憶されている方も多いと思います。

多文化主義で移民の文化を尊重するなどと政府が言っているので、フランスで移民の女子高校生がイスラムの習慣に従ってヒジャブ(スカーフ)を着て公立高校に登校したら、学校側は「憲法違反だ」と言ってその女子生徒を退学にしました。フランスでは、公共の場で宗教的な行為をすることが禁じられているのです。そこでまたイスラム系の移民が大規模なデモを行い、裁判沙汰にもなりました。

大量の移民を受け入れたら、移民たちが治安を乱し、失業が増え、移民の福祉のために巨額の税金が使われるということは、容易に想像できたはずです。それなのになぜ西欧人はこのような馬鹿げたことをやってしまったのでしょう。

移民を受け入れようという考え方は、キリスト教の「隣人愛」の教えから出てきました。イエス・キリストと同じ心を持った人間は、仲間を助けようとします。多国籍企業の経営者も、「人件費を抑えて製品のコストを下げ、製品を安くして顧客を助けるのだ」、という説明をしました。

仲間を助けようという隣人愛の心からすることであれば、既存の法律や価値観を破っても構わない、というのがFreedom(自由)の考え方です。製品を安く売って仲間を助けるためであれば、民族という枠組みを壊してもやむを得ないという考え方も、成り立つのです。

西欧諸国の国民が大量の移民を気前よく受け入れた背景には、キリスト教の考えがありました。キリスト教の教えは、永年の伝統によって西欧人の心の奥にしっかりと根を下ろしているので、このような馬鹿げたことが大規模に出来てしまったのです。

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