大乗仏教は、おしゃか様の教えに反して神や仏を持ち出した

おしゃか様は、ブラフマンという神様のことを「そんなもののことは考えるな」と言いました。バラモン教は天にブラフマンという神様がおられると断言するのですが、誰もそれを見ることができません。おしゃか様は、見たり聞いたり感じたりできるものだけを基礎にして考えを巡らしました。

白人のアーリア人種と黄色人種のチベット系先住民や黒人種のドラヴィタ系先住民は、見た目がかなり違います。もちろんおしゃか様も人種の見た目の違いを認識していました。しかし彼らを観察して、人種が違っても思考力に違いがないことも理解しました。おしゃか様は見た目の違いを素直に認めたうえで、人種差別をしてはいけないという結論を出したのです。

ところが仏教は、次第に見た目の違いを否定するようになっていきました。そしてここから様々な問題が生じてきたのです。

すでに説明したように、初期の仏教は苦から逃れるために、自分の大事にしているものを全て捨てなくてはならないと教えました。配偶者も親も子供も、財産も地位も、友人も、雨露をしのぎ外敵から身を守る家も、寝るための寝具も、全て捨てなければなりませんでした。

このようなことが出来る人はまずいません。そこで仏教はどんどん教義を変えて、神や仏の存在を主張し、「神様や仏様が助けてくれるから、完全にものを捨てることができなくても、苦から逃れることが出来る」と言い出したのです。

おしゃか様は、「ブラフマンの神様など、その存在が確認できないようなものを考えても無駄だから、無視しなさい」と教えたのですが、それと正反対のことを後世に出来た大乗仏教は言い出したのです。

特に日本に入ってきた大乗仏教である如来蔵思想学派は、「すべてのものは仏様である。人間も月も草木もすべて同じ仏様である」と言い出しました。

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