白人種のアーリア人はもともと中央アジアで遊牧生活を送っていました。それが3000年以上前に移動を開始し、西に行った部族はギリシャ人・ローマ人・ゲルマン人など西欧諸民族になりました。南下した部族はペルシャ人になり、そこから東に進んでインドに侵入した部族はインド人の白人階級になりました。
アーリア人はまだ中央アジアにいた段階で、バラモン教の基になる宗教を信じていました。バラモン教にディヤウスという神様がいるのですが、その名前はギリシャのゼウスやローマのジュピターという神様と語源が同じだということが確認されています。
アーリア人は、インドに侵入した時にすでにバラモン教を信じていたわけです。彼らは先住のチベット系黄色人種やドラヴィタ系黒人種を征服し、彼らに対して人種差別をしました。
カースト制度は、バラモン(バラモン教の僧侶)・クシャトリア(武士)・バイシア(庶民)・シュードラ(奴隷)の四つの階級から成り立っています。バラモンとクシャトリアはアーリア民族で、シュードラは征服された有色人種でした。バイシアは双方が混合していたようです。
違う階級との通婚は禁止され、アーリア人は人種の純粋さを保とうとしました。特にバラモン階級はその傾向が強く、両親とも7代前からのアーリア人種でないとバラモン教の僧侶になれませんでした。
異人種間の差別を厳格に守ったのは、インド西部のインダス川流域でした。ここはアーリア人の進入路でアーリア人の比率が高かったのです。それに対して東部のガンジス川流域は先住民の比率が高く、異人種間の差別はあまり厳格に守られませんでした。
シャカ族の首都だったカピラ城の正確な位置は不明ですが、ガンジス川中流の北側でインドとネパールの国境地帯にありました。この辺は今でもチベット系の住民が多く、シャカ族もチベット系ではなかったかと考えられています。
おしゃか様は木の股から生まれたとか、生まれた直後に「天上天下唯我独尊」と言ったという言い伝えがありますが、これらはチベット人の習俗によって説明できます。