日本人は、人種による見た目の違いは本当は存在しない、と思っている

仏教は、おしゃか様の頃から、どの人種も修行次第で同じように苦から逃れることができると主張し、人種による宗教的能力の優劣を否定しています。これは日本の大乗仏教でも同じですが、その根拠づけが独特です。

日本の大乗仏教は、「すべてのものは仏様である。人間も月も草木もすべて同じ仏様である」と主張しています。「自分も他人もすべて仏様の体の一部であり、まったく同じである。自分と他人が違い、白人と黒人が違うと思うのは間違いだ」というのです。

『仏説観無量寿経』というお経は、全ての人間の肌の色は金色だ、と説いています。「人間の肌の色が白かったり黒かったり様々に見えるのは、その人間の心が欲望のために歪んでいるからだ」と書いています。

日本の大乗仏教は、目に見える実際の違いという物理現象を認めようとせず、「人間は仏様だ」という教義から導き出された結論に現実を合わせようとします。その結果、「全てに人間の肌の色は金色だ」「人種による違いは存在しない」ということを主張するのです。

いくら大乗仏教の教義を信じている日本人でも、白人と黒人の違いは目につきます。そこで彼は、「人種による違いを意識してはいけないのだ」と無理やりに自分に言い聞かせます。そして黒人の手のひらや足の裏が意外に白くて、自分の手足と変わらないことを発見して、「やはり違いはないのだ」と安心するわけです。あるいはちょっとした仕草が日本人と同じことを発見した時も、同じように感じます。仏教は、このような「すべての人間は仏様で、みな同じだ」という考え方を「平等」と言っています。

明治になって日本は、欧米からキリスト教の信仰から起きたEqualityという考え方を導入し、それを憲法で法的な権利として国民に保障しました。その訳語に仏教用語である「平等」をあてたために、日本人は近代社会を作るのに一役買ったEqualityの考え方とは仏教の平等のことだ、と誤解しました。

そのために、日本人は人種の違いを意識してはならないと思いこみ、欧米人も仏教の平等という考え方を尊重しているはずだ、と思い込んでしまいました。

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