「日本は日本人のもの」という考え方は、日本だけでなく世界の常識です。「スペインはスペイン人のもの」であり、「メキシコはメキシコ人のもの」なのです。このような考え方を「社会契約説」といい、世界中のまともな国の憲法が採用しています。日本国憲法も、社会契約説に基づいています。私は、日本国憲法は成立していないと考えますが、「日本は日本人のもの」という社会契約説には賛成です。
社会契約説は、「国家の運営はそのメンバーである国民が決める」という考え方なので、参政権は国民にしか認められません。国会議員を選ぶ国政選挙で投票できるのはその国の国民だけです。地方自治体の議員の選挙権も国民にしか認められません。地方は国家の不可分の一部であり、国家の行政と地方の行政は互いに密接に関連しているからです。
ところが、選挙権は国民しか持てないという原則が日本で危なくなっています。国会議員の選挙権は日本人にしか認められていないのですが、地方自治体の首長や議員の選挙の際に、外国人の住民にも投票権を認めようという動きがでてきたのです。
外国人にも地方参政権を認めようという意見の人は、ヨーロッパでは外国人の地方参政権が認められていると言っていますが、これはデマです。あなたがフランスのパリに住みついて住民登録をしても、パリ市長選挙やパリ市議会議員選挙で投票できません。
EUはEU加盟国を一つの国にするという理想を掲げています。ドイツをEU国内のドイツ県、フランスをEU国内のフランス県のように扱おうということです。ドイツ県のベルリン市に住んでいた者がフランス県のパリ市に引っ越しても、同じ国民だから地方自治体の参政権は持っている、という発想です。ちょうど日本の岡山県の住民が東京に引っ越しても、都知事選挙で投票権があるのと同じです。
ところが日本人のあなたがパリに移り住んでも、EU国の国民ではないので、パリ市の地方選挙に投票できないのです。これは当然の話です。
このように外国人に地方自治体の参政権を付与しようという国は日本以外にはほとんどありません。外国人に地方自治体の選挙権を付与する動きは、世界的に見て異常です。これは、日本人が大乗仏教の影響で、「人間はみな同じ」と誤解するようになってしまったのが原因です。