おしゃか様は、科学的な頭脳を持っていた

前回まで、大乗仏教の発想から来たる「国家は悪いことをする」という考え方によって現実の日本にさまざまな不都合が生じていることを説明してきました。これから、同じく大乗仏教の発想による「人間はみな同じだ」という考え方によっても、現実の日本にさまざまな問題が生じていることを説明します。

29歳で出家したおしゃか様は、バラモン教の教義に基づいて修業を開始しました。バラモン教は、天にはブラフマンという神がおり、自分の肉体の中にはアートマンがあると考えます。

アートマンというサンスクリット語は、英語のmyselfに相当し、「本当の自分」「自分の魂」というような意味です。人間が修業を積んでブラフマンとアートマンが同じものだということを実感できたら、ものに対する執着を消し去ることができる、とバラモン教は教えています。そしてこの境地に達するには、大変な苦行が必要だ、とも言っていました。

ちなみにブラフマンとアートマンが同じだと感じるための修行の一つがヨガです。ヨガというのは「つなぐ」という意味でブラフマンとアートマンが繋がっている状態を指します。日本ではヨガは健康体操だと思われていますが、もともとはバラモン教の修行法なのです。

おしゃか様は6年間、大変な苦行をしてガリガリにやせ細ってしまいましたが、ブラフマンとアートマンが同じだという実感は得られませんでした。おしゃか様は非常にまじめに修業に取り組まれたので、「これだけまじめに修業をしても修行の目的が達成されなかったのだから、誰がやっても無駄だろう」という結論を出しました。

おしゃか様はこの失敗からいくつかの教訓を得ました。まず、苦行は無駄である、ということです。おしゃか様のこの教えを引き継いで、仏教は苦行を否定しています。「座禅は苦行ではないか」と仰る方がいるかもしれませんが、あれは瞑想に入るための姿勢の一つであり、個人的には苦痛かもしれませんが無意味な苦行とは違います。

次に、ブラフマンのことなど考えても無駄である、という教訓も得ました。バラモン教はブラフマンが天に実在すると言っていましたが、おしゃか様はそれを確認できませんでした。そこで、「本当にあるか否か確認できない不確実なもののことを考えても、無駄である」と教えました。このような態度を仏教では「捨置記」と言います。抽象的な思考など「捨て置け」ということです。

おしゃか様は科学的な頭脳をお持ちで、彼の教えは宗教ではなく哲学です。