仏教の僧侶は僧院の中で戒律を守って集団生活を送ります。戒律は、修業がはかどるような生活を推奨しているだけで、これを破ったからといって犯罪になるような善悪の基準ではありません。ところが大乗仏教を導入した奈良時代の朝廷は、戒律を法律として扱いました。
僧侶は、出家して社会を離脱した者のはずです。ところが朝廷は、国家試験に合格した者だけを僧侶に任命し、給与を与えて国家公務員の扱いにしました。日本の大乗仏教は導入した時から、僧侶は出家して社会から離脱したものだ、という大原則を守っていません。
この発想は現在まで続いています。江戸時代の寺院は、宗門人別改め帳という一種の戸籍原簿を作成していました。僧侶は社会を離脱した世捨て人ではなく、今でいえば法務省に所属する国家公務員のようなものだったのです。
また江戸幕府は寺社奉行という役所を設置して僧侶の素行を監視していて、妻帯したり妾を持ったりした僧侶を罰していました。やはり、「僧侶は出家して社会を離脱した者だ」とは、考えていなかったのです。
明治になって政府は、国民に信教の自由を保障し、宗教によって国民を差別しないことにしました。国民が婚姻届を提出すれば、例外なく受理することにしたわけです。そうしたら僧侶が婚姻届を出すようになり、今ではほとんどの仏教僧は結婚するようになりました。
「自分たちは社会の中で生活しており、普通の市民として暮らしていく」と僧侶が考えているということであり、自分たちが出家して社会から離脱している、という自覚がないのです。
家族という「もの」を持ってしまえば、それがなくなった時に「苦」を感じてしまう、とおしゃか様は教えています。それを考えたら、僧侶は結婚などできないはずです。日本の僧侶は、出家は何のためにするのか、ということもわからなくなってしまったようです。