小乗仏教は、おしゃか様の「ものを持たないようにしなさい」という教えを甘く解釈して、家や金銀を持つぐらいは良いではないか、と考えました。ものを手放そうとしないのに、ものに対する執着を消そうと修業するというのもおかしな話ですが、神や仏の力を借りずに自力だけで修業をするという態度だけは維持しました。
おしゃか様が亡くなって300年ぐらい過ぎた紀元前後に、バラモン教が被征服民族を信者に取り込んで勢力拡大を図り、名称もバラモン教からヒンドゥー教に変えました。それまでバラモン教は被征服民族を信者にしていなかったのです。
ヒンドゥー教が大改革によって勢力を増してきたために、それに脅威を感じた小乗仏教の一部も、信者の範囲を広げてヒンドゥー教に対抗しようとしました。それまでの小乗仏教の僧侶は大富豪からの寄進を当てにしていて、一般の信者を熱心に相手にしていなかったのです。こうして生まれたのが大乗仏教です。
大乗仏教は、出家していない一般の俗人を信者とする宗教なので、修業を満足にしなくても「苦」から逃れることができることを信者に保証しなければなりません。そこで、「修業しなくても神や仏が助けてくれるから、最終的には悟りを得て、苦から逃れることができる」という教義を作りました。「実際に存在しているという証拠がない神や仏のことなど、考えるな」と教えたおしゃか様と、逆のことを言い出したのです。
また、社会の中で生産活動を行っている信者を相手にしているので、ものを持たないという原則に対しては、さらに態度が甘くなりました。
「小乗」というのはひとり乗りの車という意味で、修行者が自力で苦の無い世界(彼岸)に向かうという意味です。これに対して「大乗」というのはバスのようなもので、運転手の仏様がたくさんの信者を苦の無い世界につれて行ってくれるのです。