インドには「苦」という独特の考え方があります。「苦」とは、自分が大事にしている「もの」が失われた時に感じる悲しい感情のことです。「もの」は物質に限らず、肉親、配偶者、友人、お金、地位、自分の若々しい肉体など、大事にしているすべてのものを指します。
こういう「もの」は、いつかは無くなります。この道理を仏教は、「諸行無常」と言っています。諸行とは「もの」のことで、それが「無常(常ではない)」である、同じ状態が続くのではなく絶えず変化していく、そして最後にはなくなってしまう、ということです。
ものは必ず無くなってしまうので、ものを大事にしているといつか必ず「苦」を感じることになります。バラモン教は、「苦」から逃れる方法を教えている宗教です。その方法はきわめて単純で、「最初からものを持っていなければ、ものを失うこともない。だから「苦」を感じないで済む」、ということです。
具体的には、自分の持っている全ての「もの」、家族・仕事・財産・社会的地位など、を投げ捨てて出家し、以後は「もの」を欲しがる気持ちが沸き起こるのを抑え込む修業をするのです。出家というのは仏教独自の制度ではなく、もともとバラモン教の制度でした。
「苦」という考え方はインド独特で、他の民族は「大事なものがある間は楽しめば良いのだ。それがなくなることは分かっているが、その時はその時だ」としか考えません。「苦」という発想は、インド人以外には分かりにくいです。
例えば、「平家物語」の冒頭には、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」という有名な一節があります。この文章を読んでみると、「ものは必ず無くなる」という現象を日本人は「苦しみ」とは受け取っておらず、「美しいこと」と情緒的にとらえていることがよく分かります。
日本人は、仏教という外国で生まれた宗教の前提を、よく理解していないのではないでしょうか。