チベットは、中国の一部ではない

チベットは貧しくまともな軍隊もないので、元や明などの大帝国からしたら、わざわざ大軍を派遣して征服をする必要がありません。使者を使わして何かを要求すれば、チベットはそれに従うしかありません。

中国とチベットの関係は曖昧ではっきりしません。チベットとしては中国の機嫌をとらなければならないので、高僧を皇帝の下に派遣していました。彼らは仏教の教義を皇帝に説明したのですが、さらには皇帝の私生活にも関与しました。すなわち、皇帝が後宮の女性たちと夜中により楽しめるように、ある種の技術指導をしたのです。

この技術指導が皇帝たちに歓迎され、チベットの高僧たちは「国師(皇帝の先生)」の扱いを受けました。中国とチベットの関係は、国としては中国の方が上に来るが、高僧は皇帝の先生という不思議な関係だったのです。元の皇帝がチベット仏教に帰依したことを契機として、モンゴル人はチベット仏教の信者になりました。

満州人が作った清王朝は、モンゴルのジュンガル部と長い間戦っていました。モンゴル人は熱心なチベット仏教の信者だったため、清朝はジュンガル部との戦いを有利に進めるためのモンゴル人対策として、皇帝はダライラマを丁重に扱いました。

清の皇帝とダライラマとの関係も、基本的には檀家と高僧の関係です。清は駐蔵大臣を任命していましたが、これはチベットを監督する役職というよりも、外国に派遣された大使のニュアンスが強いです。満州人あるいは漢人の大臣は高地にあるため空気が薄いラサに駐在することはできず、実際にダライラマを監督することはできませんでした。

このように、中国とチベットは、檀家と高僧という関係を長い間続けていました。20世紀になるまで、チベットと中国は別の国だったのです。ところが中国共産党の軍隊が1950年にチベットに侵攻し、この地を植民地化しました。そして舗装道路と鉄道を敷いて、実効支配しようとしています。

中国共産党はチベットの地下資源を狙っています。またチベットがインドや東南アジアの通り道にあたるということも重視しています。共産党政府がウイグルほど派手に虐殺をしていないのは、高地に慣れない漢人がチベットに移住するのが難しいからです。

われわれ日本人は、ウイグルと同じようにチベットが独立を取り戻せるように支援すべきなのです。

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