香港は長い間イギリスの植民地でしたが、20年以上前に中国に返還され、今では完全に中国の領土の一部です。香港の住民は上海や北京の住民と同じく中国人です。ところが、香港だけは私有財産を保護しFreedom(自由)を守る法体系を持つという、イギリス領だった時代からの制度を維持していました。中国の他の地域と制度が異なるので、一国二制度といわれているわけです。
上海や北京は、香港よりもはるかに大きな都市なのに、香港のような特権を持っていません。香港は過去の歴史上の経緯から、えこひいきされていたのです。最近になって中国政府は一国二制度を否定して、香港を中国の他の地域と全く同じように扱おうとしました。
これに対して香港の住民は、他の中国人と同じように扱われるのは嫌だ、と反抗しているわけです。そしてイギリスやアメリカなどの外国は、香港に対する特別待遇を協定通りに50年間は続けよ、と主張して香港を支援しています。私の言い方に問題があるかもしれませんが、香港問題を大きくとらえると、このような図式になります。
1949年、中国を統一した共産党政府は、イギリスに香港返還を迫ることもできました。香港はイギリスがアヘン戦争を仕掛けて強奪した土地なので、支那には堂々と返還を要求する権利があり、イギリスはその理屈に対抗できません。実際、香港を統治していたイギリスの総督は、「北京から電話一本かかってきたら、香港をすぐに引き渡さなくてはならない」と自分たちの立場の弱さを自覚していました。
ところが中国政府は、イギリスに香港返還を要求しませんでした。香港を資本主義世界への窓口として使い、貿易や資金調達をしようと考えたからです。また、高官がため込んだ賄賂を海外に送金するにも、香港が資本主義体制でなければなりませんでした。
このような理由で中国政府は国土の一部を植民地のままに放置し、本土とは違う政治体制を許容しました。その結果、香港は本土にはない言論の自由と民主体制を得ることができました。中国の態度は異常で、まともな国は国家の独立と統合を最優先します。
ではなぜ、中国政府が香港を植民地のままにし、また特別待遇をすることが出来たかと言えば、中国人が横のつながりを重視しないからです。つまり、彼らはFreedomや誠の考え方を持たず、同じ民族の者を仲間と考えて互いに助け合わないからです。だから香港を特別待遇させても、他の地域は大騒ぎしないことを知っていたわけです。
1997年に中国は、永久にイギリス領になったはずの香港島の返還をイギリスに要求し、イギリスはそれに応じました。この時も中国は、香港を資本主義世界に開いた窓口として使い続けようとしました。そして50年間は香港の資本主義と民主主義体制を維持する一国二制度をイギリスに約束しました。
最近になって、北京や上海の経済的実力が大きくなり、香港の重要性が薄らいだので、中国は一国二制度を廃止し、香港を他の地域と同じようにしようと考えました。やはり国内に違う体制の地域があることは、統治上問題が大きかったからです。