日本人は誠の意味をきちんと理解し、誠のない国から日本を守らなければならない
日本人は、誠をきちんと理解し、まともな国に対しては誠とFreedomとの共通点と相違点を説明し、Freedomも誠もない国から自国を守っていかなければなりません。
日本人は、誠をきちんと理解し、まともな国に対しては誠とFreedomとの共通点と相違点を説明し、Freedomも誠もない国から自国を守っていかなければなりません。
アメリカは本来豊かな国です。ところがFreedomの考え方から戦争ばかりしていて、エネルギーを浪費し、他民族の恨みを買っています。またFreedomの考え方から、人種差別と宗教差別を行っているために、アメリカ人自体が分裂する傾向にあります。
私は、Freedomを日本語に訳さずに、「フリーダム」とカタカナ表記するほうが良い、と考えています。Freedomと同じ考え方が日本語にないからです。これを説明するときは、神道の信仰から生まれた誠に近い考え方だ、と説明すれば良いと思います。
日本人は神社で、「祓い給い、浄め給え、神ながら守り給い、幸い給え」と祝詞を唱えます。すると神様は人間の願いを聞き届けて、清く正しい魂を人間に送ってくれます。
古代のユダヤ人は、息には特別の力が含まれていると考えました。神様の息はさらに強力で、これが付着したら人間の心は生き生きとし、正しいことしかしなくなると考えたのです。この考え方をキリスト教も受け継いでいます。
「神仏習合」は、同じ敷地にお寺と神社が同居しているとか、僧侶が神社の神主を兼ねているなどという現象や、両者の教義をいっしょくたにすることを指します。お寺の門前に処世訓を書いた「今日の言葉」などを貼るのは、この神仏習合の名残です。
昨日、「経団連の幹部は、自由主義の内容を仏教の教義で捉えています。だから日本人の利益を考えず、勝手気ままに自分たちの利益を追求することが許さ...
仏教の自由とは、出家した僧侶が勝手気ままに振る舞うように社会のルールに従う必要がない、という意味です。
大乗仏教は、世界はすべて仏様だ、と主張しています。仏様が、ある時は山川や月など自然物のように見え、あるときは動植物、あるときは人間に見えると考えます。人間も、仏様が個々の人間に見えるというだけのことなので、見かけや能力・性格など個性の違いも見かけだけだ、と考えます。
日本が遣唐使を廃止した直後に支那の仏教は急激に衰えました。しかしその時には日本に生の情報が入らなかったため、日本人はその後も支那で仏教が栄えている、と誤解しっぱなしになっているのです。