誠の考え方を活用して、日本は自立しよう
日本が誠の考え方を明確にし、それとFreedomとの類似性をお互いに認識することで、アメリカとの間で理解を深めることは可能です。また支那や朝鮮には誠の考え方がないので、彼らと日本とは違うということを、誠の説明を通してアメリカに分からせることもできます。
日本が誠の考え方を明確にし、それとFreedomとの類似性をお互いに認識することで、アメリカとの間で理解を深めることは可能です。また支那や朝鮮には誠の考え方がないので、彼らと日本とは違うということを、誠の説明を通してアメリカに分からせることもできます。
アメリカは自分独自のプロテスタントの信仰を諸民族に押し付けているために、各地で紛争を起こしては対応に追われ、エネルギーを浪費しています。
昨年あたりから、アメリカ政府は支那に対して、アメリカの知的財産権の詐取や不公正な貿易取引を中止することを求めて、高圧的な態度をとっています。...
アメリカは外国を経済的な価値よりは、キリスト教の視点で見ます。支那がその典型で、つい最近まで「支那は経済的に豊かになったら、自由な社会になるだろう」という誤解から、支那を大いに優遇していました。アメリカ人にとって杞憂とはキリスト教の信仰なのです。
パレスチナの領有を巡るイスラエルと周辺のイスラム教国との間の争いは、他国どうしの問題であり、アメリカの国益には関係ありません。ところがアメリカはイスラエルに一方的に肩入れして、中東全体に紛争を起こしています。「イラクは大量破壊兵器を持っている」とウソまでついてフセインのイラクを潰したために、数十万人の死者が出てイラクはガタガタになっています。
最終的に救い主が現れる、と聖書は予言しています。この救い主を福音派は、2000年前に地上に現れたイエスが再びやってくるというように理解をしています。ところがユダヤ人は、2000年前に現れたイエスを救い主とは認めておらず、まったく別の人物が現れると考えています。来るべき救い主に対するイメージが違うのに、イスラエルも福音派もその違いを表面化させていません。
1948年にイスラエル国が出来た時、福音派は「やっぱり聖書に書かれている予言は本当だったのだ。それならばその後の予言をも成就させようという神の意思に、我々も従わなければならない。イスラエルは攻め込んできた大軍を撃破すると予言されているから、我々はイスラエルを支援して、予言の実現に努めなければならない」と考えたわけです。
近年アメリカで福音派が大幅に増えています。では昔は福音派が少なかったのかと言えば、そうではありません。素朴に聖書を信じている人がたくさんいて、それがむしろ常識でした。大覚醒運動の高まりと共にまじめなプロテスタントが増えたため、自動的に福音派が増えるという現象が起きただけです。
メガ・チャーチは白人中間層を狙って郊外に教会を建てました。郊外の住宅地に新しく引っ越してきた家族はみな、同じような階層に属しています。新しく引っ越してきたために知り合いがいなくて寂しい思いをしていた彼らは、メガ・チャーチに行って友達を作ることができました。
もともとアメリカ映画には「ハッピーエンド」のものが多いのですが、後の時代になると、「ダメ人間が一大奮起をして頑張り、最後は社会的に成功する」というワンパターンばかりです。