ウクライナ人は、コサック

ロシアのプーチン大統領は、「ロシア人とウクライナ人は歴史的に同一民族である」と主張しています。2021年7月には、「ロシア人とウクライナ人の一体性」という論文を書いたそうです。しかしプーチンのこの主張には無理がある、と私は思っています。

9世紀にキエフ大公国が出来て、その版図は今のウクライナとロシアに及んでいました。ところが13世紀半ばにモンゴル軍が侵攻してキエフ大公国が崩壊し、各地のスラブ系の豪族がモンゴルの王朝(キプチャク汗国)に臣従し、年貢を払っていました。

キプチャク汗国に臣従していたモスクワ大公国が今のロシア地方で成長を続け、遂にはキプチャク汗国から独立するまでになりました。これが後にロシア帝国になります。一方のウクライナ地方では、小さな豪族が割拠してそれぞれが武士団を形成しました。この武士団をコサックと言います。「コサック」という言葉は、ウクライナの東にいるトルコ系の騎馬民族であるカザフ族の呼び名がなまったものです。

つまり、ウクライナ地方にいたスラブ人が、騎馬民族のカザフ人と混血し、騎馬で戦う技術を身に着け、さらに自分たちのリーダーを選挙で選ぶという騎馬民族の習慣を身につけました。コサックのリーダーを「アタマン」と言いますが、これはトルコ語です。このコサックが今のウクライナ人の元になっています。このようにウクライナの文化は遊牧民族から大きな影響を受けています。

ウクライナのコサックは、14世紀頃にはポーランドに従属していましたが、ウクライナ人の宗教がギリシャ正教なのに対して、ポーランドはカトリック教なので、反抗するようになりました。そして18世紀ぐらいになると、各コサックの集団はロシアに服属するようになりました。ロシアはコサックの自治を認め税金を徴収しない代わりに、コサックは騎兵としてロシアのために戦う、という合意ができたのです。

このように、ウクライナ人とロシア人は、元々は同じですが、歴史的にはかなり違う道を歩んでいます。

ロシア革命が起きた当初、ウクライナのコサックはロシア皇帝に味方しました。自分たちはロシアの百姓とは違い、皇帝を守る戦士だというプライドがあったのです。このように革命政権に反抗的だったので共産党政権に嫌われました。ソ連政府はウクライナから徹底的に小麦を徴発したため、数百万人のウクライナ人が餓死しました。ウクライナ人の人口が激減したので、そこにロシア人が移住してきました。ウクライナ国内にロシア人が多くいるのは、こういう理由からです。

ナチス・ドイツがウクライナに攻め込んできた時、ウクライナ人はナチスを解放者だと考え、一緒になってロシア人と戦いました。ウクライナ人にとってナチスとは、共にロシア人と戦う仲間なのです。ナチス・ドイツは敗退し、ウクライナからいなくなりましたが、今でもウクライナ人にネオ・ナチが大勢いるのは、このような歴史的背景があるからです。

1991年ソ連が崩壊し、ウクライナがロシアから独立しました。そして、ネオ・ナチは国内のロシア系住民を追い出そうとしています。「ロシア人とウクライナ人は歴史的に同一民族である」というプーチンの主張は、説得力がないと思います。

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