アメリカの来年の中間選挙よりも、もっと先のことを考えてみようと、私は思っています。今後も民主党が優勢であれば、アメリカはどんどん社会主義化して、衰退していきます。私は政治学者でも何でもないので、私の予測など何の意味もないかもしれません。しかし、私は、アメリカが一線を越えてしまったような気がしてならないのです。
民主党は不法移民をどんどん受け入れて、彼らを支持者にしようという戦略を採っています。これは自党の得票率を増やす方法としては極めて優れています。しかし、自国民とよそ者を同じように扱うので、国民の団結を損ないます。
また、アメリカを強大にしたアメリカの考え方・文化を破壊してしまい、途上国と同じような精神文化になってしまいます。不法移民を気前よく受け入れる政策は、国家の枠組みを壊してグローバルな社会主義国家を作り、経済的にも衰退する、ということです。
私には、今のアメリカと古代ローマが重なって見えます。古代ローマもグローバル化して国家の枠組みが壊れたために衰退し、遂には消滅しました。国が衰退するときは、まず制度や文化が劣化します。GDP・軍事力・人口・国土面積などの具体的な数字が悪くなるのは、それから少し後になってからです。
塩野七生の『ローマ人の物語』は全15巻の分厚いシリーズですが、私は夢中になって何回も読みました。最初はただ感心していただけですが、そのうち彼女の考え方に納得しできないことも、出てきました。しかし、全体として社会の変化を考えさせられる、非常に優れた歴史書であることは、間違いありません。
塩野七生は、「ローマの衰退がはじまったのは、カラカラ帝の時だった」と『ローマ人の物語』で書いています。カラカラ帝(在位209年~217年)は、カラカラ大浴場を作った皇帝として有名ですが、頭に血が上ると簡単に人を殺したので、暴君としても有名でした。
当時、ローマの市民権を持っていたのはイタリア半島に住んでいる自由民だけで、イタリア以外の広大なローマの領土内に住んでいた自由民は、わずかな例外を除いてローマの市民権を持っていませんでした。ところが、カラカラ帝は「アントニヌス法」を制定して、ローマ全土の自由民にローマ市民権を与えたのです。さすがに、奴隷身分の者に市民権を与えることはしませんでした。
カラカラ帝がアントニヌス法を制定する前は、ローマ市民権を持つ者は帝国の中でも少数で、税金や法律の面で優遇されていました。その分、自分の身分に誇りを持ち、国家に尽くそうという気持ちを持っていました。イタリア半島以外の出身者は、軍隊に勤務するなど特別に国家に貢献した人物しか、ローマ市民権は与えられませんでした。
ところがアントニヌス法によって、帝国内の自由民の誰もがローマ市民権を与えられたために、ローマ市民であることを誇りに思い、国家に貢献しようという気概が薄らいでしまったのです。
カラカラ帝としては、広大な版図に住む自由民を同じに扱おうとしてこの法律を作ったわけで、彼としては良いことをした、と思っていました。しかし、結果にはローマが衰退していきました。
西暦96年~180年までのローマは、五人の優れた皇帝が輩出して、ローマの最盛期でした。
その後の30年ぐらいは凡庸な皇帝が続きましたが、ローマの力は衰えませんでした。そして207年にカラカラ帝が即位し、212年にアントニヌス法を制定し、217年に暗殺されました。
その後、ローマ帝国の統治が緩んで行って、アントニヌス法制定の23年後の235年には、ローマ軍の将軍たちが帝位を狙って互いに内戦を行う内乱状態になりました。国家は、その衰退が客観的に数字で見ることが出来るように明らかになる前には、国家の制度や文化の劣化が起きているのです。