朝鮮に関する日本人の常識は、ほとんどが誤り

私が、「ちまたで朝鮮に関して信じられていることはウソではないか」とまじめに疑い出したのは、朝鮮の結婚制度がきっかけでした。朝鮮の文化は儒教を根幹としている、と一般に考えられています。しかし、朝鮮人の結婚制度は儒教とは違うのです。儒教は一族の関係を最優先にする考え方ですから、結婚制度が違うということは、朝鮮の文化は支那の本場の儒教に基づいていないということです。

儒教は、「同姓不婚」が大原則です。李や劉などの苗字が同じ者は同族だと考えるので結婚してはならないのです。ところが朝鮮は「同姓同本不婚」です。本(本貫)というのは、本籍地のことです。朝鮮には全羅道など行政区域である道が八つありますが、同じ道が本籍地であれば、同姓の男女は結婚できないのです。しかし本貫が違えば、たとえ同姓であったも結婚できると考えます。

本籍地が同じだろうが違おうが、同姓だったら結婚できないというのが支那の本場の儒教です。秀吉が朝鮮出兵していた時に、李徳馨という朝鮮人の役人がいて、李山海という大物政治家の娘婿になりました。朝鮮式では本貫が違うので問題はないのですが、明王朝の支那人官僚は、彼を野蛮人とみなして、相手にしなくなりました。

現在の南朝鮮人の半分近くがキリスト教徒だということは、日本人にもかなり広く知られています。しかし、1910年まで存続していた李氏朝鮮は儒教を国教としていました。ところがその後の百年の間に急激にキリスト教徒が増えました。

特に朝鮮戦争後の60年間に、軍隊内で新兵にキリスト教を宣教したので、急激にキリスト教が普及しました。しかし、政府が宣伝したからといって、一般国民が信じる宗教をそう簡単に変えるでしょうか。これについて、日本に帰化した呉善花教授は、「朝鮮のキリスト教は、本物ではない。昔ながらのシャマーニズム(アジア式精霊信仰)が形を変えたものだ」と発言しています。

以上のようなことから、私は「日本人の朝鮮に対する常識は誤っているのではないか」と考え、色々と調べるようになりました。特に朝鮮の歴史を調べてみると、朝鮮に関する日本人の常識のほとんどは誤りである、ということが分かってきました。近年までの日本の朝鮮に対するトンチンカンな対応の多くも、この誤解から来ていると考えます。

そういうわけで、これから朝鮮の本当の歴史を書いていきます。

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