昨日まで、古代日本と朝鮮半島の関係を書いてきましたが、これから古代朝鮮全体のことを書いていこうと思います。
最初に言わなければならないのは、朝鮮の歴史資料は信用できないということです。異民族が入れ替わり立ち代り国を建てたので、支那と同じように、後からできた王朝が前王朝のことを悪しざまに書いているので、信用できないのです。
現存する最古の歴史書は『三国史記』です。高麗時代の1145年にできたもので、日本書紀より400年以上後に書かれました。書いたのが新羅王族の末裔だった金富軾なので、内容が新羅寄りで公正でありません。
『三国史記』は、それ以前の歴史書を参照して書かれたと言っているのですが、全て散逸しているので確かめようがありません。ある程度史実に基づいた歴史が明らかになるのは、李氏朝鮮時代から後のことなのです。
なお、『三国遺事』という13世紀末に書かれた説話集がありますが、これは僧侶が民間の風説を集めたものなので、資料としての価値はありません。
司馬遷の『史記』には、「殷王朝の王族の箕子が、殷の滅亡後に朝鮮に亡命して箕子朝鮮を建国した(BC12世紀)」という記述がありますが、現在の朝鮮は南北とも、箕子朝鮮を支那の作り話としています。
朝鮮人は、檀君朝鮮が正式な朝鮮の起源だとしています。「檀君は天神の子で、BC2333年に平城で朝鮮を建国した」ということが、『三国遺事』」という怪しげな説話集に載っているのですが、南朝鮮はこれを史実として学校で教えています。このような王朝があったことを信じているのは、朝鮮人だけでしょう。
劉邦が前漢を建国した時に、衛満という支那人が朝鮮に逃げてきて、半島の北半分を支配する衛氏朝鮮を建国しました(BC195年)。衛満は鉄製の武器で武装した部下を千人引き連れて、簡単に朝鮮人を征服できたようです。
朝鮮に国家らしきものができたのは、衛氏朝鮮ぐらいからです。この王朝の存在は否定できないので、「衛満は朝鮮人だった」と今の朝鮮人は主張しています。朝鮮に入国する際に朝鮮の服を着ていたから、という理由だそうです。