今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある
現実社会をなんとか良くしようとすることを仏教の教義によって考えるのは、非常におかしいのですが、明治になってこのようなことが現実に起こってきました。即ち、神道と仏教の使い分けの原則が崩れてきたのです。
現実社会をなんとか良くしようとすることを仏教の教義によって考えるのは、非常におかしいのですが、明治になってこのようなことが現実に起こってきました。即ち、神道と仏教の使い分けの原則が崩れてきたのです。
仏教は世界の三大宗教の一つに数えられていますが、実際の勢力は微弱で、キリスト教の信者数が20億人、イスラム教が16億人に対して、仏教は4億人です。それも日本以外は、東南アジア諸国・チベット・モンゴルなどの弱小国に普及しているだけです。
おしゃか様をはじめとした最初期の僧侶たちは、「失ったら苦を感じる大事なもの」を真剣に避けていました。合理的に考えれば、「配偶者」や「財産」だけでなく、「家」「寝具」「友人」「師弟関係」なども「「失ったら苦を感じる大事なもの」にあたります。今の僧侶に対して我々が抱いているイメージとはまるで違うのです。
35歳で方法を確立してから80歳で亡くなるまで、おしゃか様はものを持たない生活を徹底しました。全裸は人に不快な感情を与えるので、捨てられたぼろ着を縫い合わせて身にまとっていました
自分の大事にしているものが亡くなったら精神的に大きな苦痛を受けます。これが「苦」ですが、インド人は古代から際立って苦に対する感受性が強いです...
キリスト教と神道は健康で満ち足りた生活を実現することが目的であるのに対し、仏教はものを持つことが苦の原因だとしてそれへの執着を断つことを目的としています。キリスト教・神道と仏教は、信仰の目的が正反対なのです。
日本の野党が浮世離れしているために、二大政党制がうまく機能していません。この原因も、日本のマスコミが「国家は悪いことをする。だから国家が強力...
「両極端を排して真ん中に立ってものを考える」というのは仏教の考え方です。「中立」「極端」という言葉は仏教用語です。中立を標ぼうする「中央公論」という有名な雑誌は、仏教を学ぶ学生が創刊しました。
仏教の経典は、出家して社会を離脱することがどれほど素晴らしいことか、また俗世間がいかに低俗な欲望に満ちているかということを、大いに力説しています。
大乗仏教によって偏った主張や変な現象が起きているために、日本の国益が害されています。しかし「だから大乗仏教は悪い宗教だ」と短絡して考えるべきではありません。仏教の使い方が間違っている、と考えるべきなのです。