主権者にこだわるのは、自由と平等の意味を十分理解していないため
多くの日本人は、自由と平等という考え方が近代国家の中心にあるということを実感できず、主権者が誰かという手段に目が行ってしまっています。
多くの日本人は、自由と平等という考え方が近代国家の中心にあるということを実感できず、主権者が誰かという手段に目が行ってしまっています。
日露戦争が起きた時(明治37年)、列強は「憲法を持った近代国家(日本)と野蛮な専制国家(ロシア)との戦いである」と考えました。当時のアメリカのルーズベルト大統領は、近代的な憲法を持っているから日本は戦争に勝つだろう、と勝敗の行方を予想しました。
ドイツ人は、ドイツ皇帝陛下をただの人間だと思っていました。もちろん、偉い方ではありましたが、医者が患者を治す使命を帯び、運転手が蒸気機関車を...
主権者は君主あるいは国民で、どちらであるにせよ主権者は人間だと考えるのが、世の常識です。ところが美濃部達吉博士は、国家という抽象的なものを主権者だと主張しました。なんとかして天皇陛下が主権者であることを否定したかったわけです。
人を殺してはいけない、という法はみんなが集まって議決した法ではなく、昔からの伝統によってそのように決まっていることなのです。それ以外に説明しようがありません。
アリストテレスは、国民のみんなが納得する法に基づいて政治を行うのであれば、一人で政治をやろうがみんなでやろうが大した問題ではない、と考えていました。そしてみんなで政治を行う場合でも、衆愚に陥る場合を「民主制」としています。
100年の間に世界中で女性も含めた全ての成人国民が選挙権を持つようになったのは、民主主義がよりよい政治を保障するからという理由ではなく、戦争に勝つためでした。
イギリスの政治制度は、「国王は君臨すれども統治せず」というように一般に理解されていますが、イギリス王は我々日本人が思っている以上に政治的な力を持っています。19世紀後半のイギリスのヴィクトリア女王は、嫌いな政治家を総理大臣に任命することを、最後まで承認しませんでした。
昭和天皇は、実際の政治については議会や大臣・重臣の決定に最終的には従うべきだ、と考えておられました。その一方で自らが主権者だという自覚がおありだったので、ご自分の意見を積極的に述べておられました。
「大正時代以後は、国民により選挙で選ばれた政党大臣を出し政治を行っていたので、天皇陛下は政治に一切口を出されなかった」と私は学校で教わりました。しかし『昭和天皇独白録』を読むと、昭和天皇はけっこう政治的な発言をされています。