日本のマスコミが本当のことを伝えない背景には、大アジア主義がある
学者やマスコミが支那や朝鮮の実態を伝えないのは、アメリカが占領時代に日本のマスコミにWar Guilt Information Programを強制したのが一因です。しかしいくら占領軍が強制されたからといって、日本人の思考回路に合わないことは長続きしません。日本人にはそれを受け入れる下地があったのです、それが大アジア主義です。
学者やマスコミが支那や朝鮮の実態を伝えないのは、アメリカが占領時代に日本のマスコミにWar Guilt Information Programを強制したのが一因です。しかしいくら占領軍が強制されたからといって、日本人の思考回路に合わないことは長続きしません。日本人にはそれを受け入れる下地があったのです、それが大アジア主義です。
幕末から敗戦まで日本人に決定的な影響を与えてきた大アジア主義が、敗戦と同時に消え去るはずがなく、今の日本でも大きな影響力を保持しています。このことは、いまアメリカを始め世界中の国々が支那を警戒しているのに、経済界がいまだに無防備な状態にあるのを見ても分かります。
いままで一カ月以上にわたって、大アジア主義の流れを見てきました。要約すれば次のようになります。大アジア主義は、「日本人と支那人や朝鮮人は、儒...
アメリカは支那の「門戸開放政策」を唱えていました。日本が満州で優越した地位にあることも不満だったのです。だから、日本軍が支那本土で軍事作戦を展開することを許容しませんでした。
日本は外務省のミスで、「紛争地帯に当事国が軍隊を派遣してはならない」という国際連盟規約に違反してしまいました。違反したら経済制裁されます。そこで日本は、そこで日本は昭和8年(1933年)に連盟を脱退しました。これが日本の国際連盟脱退の真相です。
ヌルハチの子孫は、満州の王であるとともに、清の皇帝であり、両国は同じ君主を戴く同君連合の関係でした。
支那事変が起きた時、日本と和平を結ぼうとしない蒋介石を日本軍は山奥に追い払い、最も豊かな沿岸部を支配していた南京国民党政府(汪兆銘主席)と、和平を結びました。
五・一五事件が起きた時、全国各地から裁判官のもとに、「減刑嘆願書」が山のように届きました。参加者が26人という少数の集団だったこともあって、日本人は230年前に起きた「赤穂浪士の吉良上野介邸討ち入り」を連想したのです。
昭和初期の国会は、今の「森友、加計」で大騒ぎしているのと同様に、下らないことをやって、国民の信頼を失いました
満洲事変を起こした関東軍参謀の石原莞爾中佐も朝鮮軍を越境させた林銑十郎中将も、参謀総長の許可も得ていませんでした。これは憲法違反であり、軍紀にも違反しているので、普通なら銃殺刑になってもおかしくありません。 ところが彼らは処罰を受けずクビにもならず、石原莞爾は最終的に中将になり、林銑十郎は首相にまでなりました。