ケインズは経済官僚で、功績により貴族になった
ケインズのことを多くの人は、経済学者だと思っています。しかし実際には経済官僚でもあって、晩年に男爵の位を授けられています。彼はケンブリッジ大学で数学を学んだあと、役人になってインドで働きました。
ケインズのことを多くの人は、経済学者だと思っています。しかし実際には経済官僚でもあって、晩年に男爵の位を授けられています。彼はケンブリッジ大学で数学を学んだあと、役人になってインドで働きました。
近衛文麿は京都帝大教授の河上肇からマルクス経済学を学びました。川上肇はバリバリの共産主義者で、のちには日本共産党員になりました。近衛文麿は自分が名家の出身で金持ちであることを後ろめたく考えていて、マルクス系の社会主義に惹かれていたようです。
近衛文麿(1891年~1945年)という戦前の政治家がいました。彼は平安時代に栄華を極めた藤原氏の子孫です。大化の改新で活躍した中臣鎌足が天...
軍隊は、規律を重視し勝手なことを許しません。従って自由の意味を誤解した軍人は、「自由」という言葉を非常に嫌いました。
大国と戦争をするには日本は持てる国力を総動員しなければなりません。経済活動も戦争を遂行するために国家が指導する必要があります。昭和の軍人が目指したのは、国家社会主義経済体制でした。
軍人たちは、ソ連と戦争をする時には、戦争を遂行するために必要な物資の生産や使い方を国家が決め、国民の労働をも振り分けなければならない、と考えました。これは自由主義経済を否定し、「何が正しいかは国家が決める。国民はそれに従え」という社会主義の考え方そのものです。
第二次世界大戦前の1930年代、ドイツやアメリカで社会主義が広まり、経済政策も社会主義思想に染まったものでした。日本も国家社会主義思想が広が...
1933年にルーズベルトが大統領になると、ニューディール政策を策定して、公共事業を行って失業者を雇用し、経済を回復させようとしました。これは政府が市場に介入したということで、社会主義政策です。
第二次世界大戦後に、上院議員のジョセフ・マッカーシーが「赤狩り」を始めました。彼の告発はほとんどがでっちあげだと思われていましたが、ヴェノナ文書が公開されたことにより、マッカーシーの告発のほとんどが本当だったということがわかりました。
20世紀に入った頃の欧米では、少数の大企業が業界を支配する独占・寡占が目立ってきました。特にドイツでは、政府が積極的に市場の独占化を推進する...