日本の軍人は、第一次大戦の総力戦のすさまじさに驚いた

第二次世界大戦前の1930年代、ドイツやアメリカで社会主義が広まり、経済政策も社会主義思想に染まったものでした。日本も国家社会主義思想が広がっていましたが、その普及には日本独自の経緯がありました。

日本は明治維新以来、日露戦争(1904年~1905年)ぐらいまでは、自由主義を国家の基本原則とし、政府が市場経済に介入することは原則としてありませんでした。明治初期に官営事業を行ったことはありましたが、これはまだ幼い日本の産業を独り立ちさせるためで、自由主義の発想からでたものです。

ところが第一次世界大戦(1914年~1918年)を契機として、日本人の発想が徐々に社会主義化していったのです。第一次世界大戦がはじまると、軍人たちは欧州の戦場に状況視察に行きました。

彼らは、国家の持てる資源を総動員した総力戦のすさまじさに驚きました。イギリス・フランス・オーストリアが動員した兵士は、それぞれ800万人ぐらいで、ロシアとドイツでは動員数が1200万人を超えていました。

総人口が4000万人くらいの国が800万人、人口7000万人ぐらいの国が1200万人の若者を兵士にして前線に送るわけで、彼らが使う兵器の量は膨大になります。彼らは生産活動から離れているので、兵器や食料・日用品などの生産は、残った中年男性や女性などが担わなければなりません。

日露戦争で日本が動員した兵士の数が40~50万人ですから、これとは比べ物になりません。まさに、「日清戦争は指相撲、日露戦争は腕相撲、欧州大戦はがっぷり四つに組んだ大相撲」でした。

日露戦争までは、社会の主要なエネルギーは石炭で、軍艦も石炭で動かしました。日本では石炭が採れるので、その時まではエネルギー問題はありませんでした。ところが第一次世界大戦の時には、社会の主要なエネルギーは石油に代わっていましたが、日本では石油がとれません。戦争になったら石油の使用を統制するしかないのです。

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