日本は国家社会主義国になった

1929年(昭和4年)に陸軍の中堅軍人たちが、一夕会という勉強会を作りました。戦前の陸軍将校は非常なエリートでしたが、その中でもさらに優秀な者が選ばれて陸軍大学に行きました。陸軍大学を優秀な成績で卒業した者は、陸軍省や参謀本部など陸軍の中枢に配属されました。彼らは陸軍の最高幹部になることを約束されていたのですが、そのような超エリートたちが一夕会に入り、日本の戦略や政策の研究を始めたのです。

ソ連やアメリカなどの大国と戦争をする時、日本は持てる国力を総動員しなければなりません。経済活動も戦争を遂行するために国家が指導する必要があります。彼らが目指したのは、国家社会主義経済体制でした。

日本を国家社会主義の国にしようという主張が陸軍や海軍の軍人たちに広まり、ついに1932年(昭和7年)、海軍の青年将校たちが国家社会主義を主張して五・一五事件を起こし、犬養首相を暗殺しました。

それから4年後の1936年(昭和11年)、同じ思想を主張した陸軍の青年将校たちが、1500人の実戦部隊を率いて首相や大臣たちを襲い、大臣二人を含む重臣4人を殺害しました。これが二・二六事件です。二・二六事件を起こした反乱部隊は政府の命令によって解散させられ、それに関わった青年将校の多くは死刑になりました。これだけを見ると、彼らの国家社会主義国家を建設しようとした目標は失敗したように見えます。

しかし、この反乱に震え上がった政治家や実業家たちは、国家社会主義を主張する勢力に抵抗する気力を無くしました。その結果、一夕会の流れを汲む軍人たちが国家社会主義的な政策を実施することに、おとなしく従うようになりました。日本は、国家社会主義国になったのです。

日本は、明治初期に自由主義の原則を採用して近代国家の建設を始めたのですが、60年ぐらい経って、社会主義化しました。この動きは、自由主義から次第に社会主義化していった西欧と同じです。

昭和初期の軍人たちを「右翼の保守反動主義者だ」と評価するのが一般的ですが、これは誤解です。彼らは社会主義者だったのです。ただ、天皇陛下に絶対的な忠誠を誓うことだけが、マルクス系の社会主義者と違っていただけです。