昨日は、近衛文麿(1891年~1945年)という政治家が皇室に次ぐ名門の出身だということを書きました。彼を、「非常に無責任で、明治以来今までで一番無能な首相だった」と評価する人が多いです。しかしここでは、彼が無能だったか否か、ということには触れず、彼が社会主義者だった、ということを書きます。
自由主義は、何が正しいかということを個人に押し付けず、個人の判断に任せようとする考え方です。一方の社会主義は、「何が正しいかという判断は、国家など上の存在がするから、個人はそれに従え」という考え方です。
私有財産に関しては、それを認めても認めなくても、どちらも社会主義です。私有財産を認めないのがマルクス系の社会主義で、私企業や私有財産を認めるのが国家社会主義です。社会主義は、「何が正しいかは国が判断する」という考え方なのです。国家社会主義の政府は民間企業に「これこれの物をこれだけ作れ」と命令し、資本家の主体的な判断を認めないのです。
結局、マルクス系社会主義者と国家社会主義者の発想は本質的に同じです。ところが戦前の日本では、天皇制と私有財産を認めさえすれば、マルクス系の社会主義とは別物だとして、さほど危険視されませんでした。
近衛文麿は東京帝大の哲学科を中退して京都帝大に行き、河上肇からマルクス経済学を学びました。川上肇はバリバリの共産主義者で、のちには日本共産党員になりました。近衛文麿は自分が名家の出身で金持ちであることを後ろめたく考えていて、マルクス系の社会主義に惹かれていたようです。彼の思想は複雑で、名門の公家に生まれたので天皇に忠誠を誓う保守派という側面があったし、周囲の感化によって自由主義者という面もありました。そのうえで社会主義者だったのです。
彼は政治家になってから、自分と同じ思想を持つ者をブレインに人物を集めました。伝統主義者もいたし親英米の自由主義者もいました。さらに多くの社会主義者もいました。国家社会主義者もいたし、マルクス系共産主義者から転向した者もいました。さらには、本物の共産主義者なのに国家社会主義者であるふりをした者やソ連のスパイまでいました。
近衛文麿のブレインに尾崎秀実という朝日新聞の記者がいましたが、彼はソ連のスパイでした。近衛が漏らした重要な国家機密を尾崎がソ連に流していたのです。このように、昭和初期の日本は軍人だけでなく、政治家や官僚・学者・ジャーナリストなどはかなりの割合で社会主義者だったのです。