ケインズは経済官僚で、功績により貴族になった

イギリスは、17世紀以来自由主義経済を原則としてきましたが、第一次世界大戦後に社会主義化してきました。そして1929年の大恐慌以後、政府が公共投資を行って景気を回復させようとしました。イギリスの公共投資といえば、ケインズに触れなければなりません。

ケインズ(1883年~1946年)は非常に有名な人物で、多くの人は彼を経済学者だと思っています。しかし実際には、彼は経済官僚でもあって、晩年に男爵の位を授けられています。彼はケンブリッジ大学で数学を学んだあと、役人になってインドで働きました。その後ケンブリッジ大学に戻って経済学を研究していましたが、第一次世界大戦が起きると、大蔵省に勤務しました。

第一次世界大戦が終結してパリ講和会議が開かれた時、ケインズは大蔵省代表として講和会議に出席しました。戦勝国側がドイツにあまりに膨大な賠償を要求しているのを見て、「こんなことをしたら、ドイツは復讐を行うだろう」と第二次世界大戦を予言し、辞任をしてしまいました。

1925年、時の大蔵大臣だったチャーチルは金本位制を復活しようとしました。チャーチルは経済のことが良く分からず、単純に金本位制を復活させて、イギリスを昔のように世界を経済的にもリードする国に戻そうと考えたのです。

これに対して、ケインズは昔ながらの金本位制復活に反対し、チャーチルとの間で「金本位制復活論争」を繰り広げました。戦争を境目にして、世界とイギリスの経済的な構造がまるで変ってしまったことをよく理解していたからです。このようにケインズは、現実の経済が良く分かる人だったようです。また、ケインズが大蔵大臣と喧嘩が出来るほど、地位の高い官僚だったということも分かります。

第一次世界大戦後、世界中で社会主義に対する信頼が増していましたが、彼も自由主義経済に疑問を感じました。そして1929年の大恐慌がイギリスにも押し寄せた時、彼は大蔵省の幹部として、公共事業を行うという社会主義の経済政策を推進しました。

ケインズは、「乗数理論(失業者が職を得て収入があれば彼はそれで商人から物を買い、売り上げが増えた商人も支出を増やすから、実際の需要増は乗数効果によって公共投資額の何倍にもなる、という理論)を初めて唱えて、公共投資の効果を強調しました。

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