経済学の学説というのは、時代によって主流を占める学説がコロコロ変わります。どうやら、その時代の主流を占める前提の上に経済学の学説は立っていて、その前提が古くなれば使い物にならなくなるようです。
19世紀までは、物の価値は「流した汗の量に比例する」と考えられていました。「労働が商品の価値を決める」ということで、労働価値説です。ということは、下手な画家が描いた絵と天才的な画家の作品は、その絵を描くのに要した労力が同じなら、同じ価値があるということで、この結論はどう考えてもおかしいです。
絵画のような特殊な物だけでなく、工業製品に関しても同じことが言えます。同じコストをかけた製品でも、一方の会社の製品は高く売れるのに、競合する他社の製品は安くしか売れません。
私のような素人がちょっと考えてもおかしいと思うような労働価値説が、長いあいだ学説として通用していたのは、「額に汗して働くのは尊いことだ」という常識が前提となっていたからでしょう。アダム・スミスもリカードもマルクスも、みんな労働価値説なのです。
さすがに「労働価値説はおかしい」として、「効用価値説」を主張する学者が出てきました。商品の価値は、買い手がこれぐらいのお金を払っても良いと考える主観的なものだ、という理屈です。
同じ大きさの絵でも、ルノアールが描いたのなら50億円で買うが、売れない画家の作品ならせいぜい1万円だ、ということです。この説は、我々の経済感覚と合致します。競馬で5000万円当てたら、フェラーリを買う者、200万円で普通の車を買い残りは貯金をする者と様々で、物の価値は主観でしかないな、と感じます。
この「効用」を主張する学説が経済学の主流になってきたのは20世紀に入ってからで、それまで長い間は、「労働価値説」が主流でした。もっとも基本的な前提が変わるまで、ずいぶんと長い時間がかかっています。
私のような素人がいうのも僭越極まりないことですが、人間というのはいったん思い込んだら、なかなか考えを変えられないのですね。