公共投資を行えば需要が増えて景気が良くなることは、誰でも理解できます。しかし税金を使った公共投資をいつまでも続けたら借金が増えるので、いつかは公共投資を止めなければなりません。そうしたら景気は元に戻ってしまいます。
ケインズももちろん、公共投資の効果は短期的なものでしかないことは知っていました。彼はそれを指摘されて、「目の前の問題を解決する手段がある時、それを使わないのは政府当局の怠慢だ」と答えました。
やはり彼は、経済学者というよりは経済官僚なのです。結局1970年代になると、ケインズが主張したような公共投資による景気回復策は、学者によってその効果が疑問視されるようになりました。1933年にルーズベルト大統領が行ったニューディール政策もケインズと同じような感じで、国の政治に責任を持つ者は、とにかく景気回復に良さそうなことは、何でもやるのです。
経済学の世界では、公共事業の景気刺激効果は大きなものではないと考えられるようになりましたが、世間ではその後も「ケインズ理論」は永い間信頼されていました。バブルが弾けた直後の1991年に、大蔵官僚出身で「経済通」といわれた宮沢喜一が首相になり、大規模な公共投資を行いましたが、景気にはそれほど効果がありませんでした。
2012年に始まった「アベノミクス」は、三本の矢からなりたっています。第一の矢は、人々の心理の好転を期待した金融緩和(お金じゃぶじゃぶ政策)です。第二の矢が公共投資で、第三の矢が成長戦略です。
アベノミクスのメイン施策が金融緩和で、公共投資は補助的なものに留まっています。これも、経済学の進歩と1990年代の大規模な公共投資政策によって国債発行残高が大幅に増えてしまったことへの反省から来ています。
公共投資は、政府が市場経済に介入することなので、自由主義経済を否定し、「何が正しいかは国家が決めるから、国民はそれに従え」という社会主義の政策です。1930年代の大恐慌の時代からしばらくは社会主義が普及し、経済政策も社会主義的でした。しかし最近は、社会主義への信頼が衰えつつあります。
コメント
自由主義か社会主義かと言う対立構図で見る必要はないのでは?
市川さんが提唱する「誠の倫理」は、民間人だけではなく官僚にも必要な道徳観であり、より多くの国民が、置かれた立場に関わらず誠の心で経済政策や日々の生活や仕事を考えれば良いと思います。
「国家」と言ってもそれを構成しているのは個々の人間なのですから。
対立構図ということではなく、個人で判断してよい範囲はどこまでなのか、という問題だととらえたらよいのではないでしょうか。古典的な自由主義哲学も、国家が果たすべき役割を認めています。