明治になって、武士の家の発想が日本中に広まった
武士は家の存続と発展を図ることが務めだと考えていましたが、この考え方が明治政府の各組織にも生まれたのです。江戸時代の家は名門武士が指導者となっていましたが、明治政府の組織ではそれが教育を受けた下級武士に替わったわけです。
武士は家の存続と発展を図ることが務めだと考えていましたが、この考え方が明治政府の各組織にも生まれたのです。江戸時代の家は名門武士が指導者となっていましたが、明治政府の組織ではそれが教育を受けた下級武士に替わったわけです。
江戸時代の武士は、正規の「石取り侍」と非正規の「扶持取り」にはっきりと分かれていました。本来の武士は石取り侍であって、足軽など「扶持取り」は...
討ち入りした赤穂浪士の内訳をみると、今の企業の管理職に相当する家老・物頭が3人、正社員クラスの用人・馬廻り・小姓が33人、非正規雇用に相当する下級武士が10人です。46人の8割は、今の企業で言えば正社員だったということです。
赤穂浪士たちは、神様も認める正しいことを行うのであれば、社会の法律に反してもやむを得ないと考えました。この誠の考え方に従って、彼らは討ち入りを決行したのです。
350人の武士の内、126人が大石内蔵助と行動を共にすると誓いました。この中には足軽や下級武士はほとんどいませんでした。彼らには浅野家に所属しているという意識がなく今で言う契約社員で、地域社会に密着していたので他に仕事を見つけることができたのです。
浅野内匠頭が斬りつけたのに対し、吉良上野介は逃げ出しただけで、刀を抜いて反撃することはありませんでした。そこで幕府はこの事件は喧嘩ではなく、浅野内匠頭の一方的な殺人未遂だと判断しました。
譜代の家来の役目は、第一に事業体である大名家を存続させることであって、殿様個人の幸せを図ることではありません。殿様がバカ殿でこのままでは御家が取り潰される恐れがある時、筆頭家老などの重臣はそのバカ殿を始末して御家を保つことも役割の一つだと考えられていました。
、「家」を血族組織だと思っている方も多いと思いますが、血縁は擬制です。江戸時代の大名家は御家が断絶することを恐れて、血縁関係にない者を養子に迎えた例が多くあります。
鉄鋼業で成功し大富豪になったアンドリュー・カーネギーの資産は、現在価格で40兆円だそうです。この世界一の大富豪は金儲けの秘訣を聞かれて、「黄金律の教えを実践せよ」と返事をしました。
経団連の榊原会長は、自由という言葉に社会正義が含まれていることを知らず、法律に抵触さえしていなければ儲けるためには何をしても良い、と考えているようです。支那政府が何百万人というウイグル人を弾圧しているという事実が世界中に明らかになりつつある今、支那に積極的に投資するのは、自分の企業を危うくするだけでなく、世界中から非難を浴びることになります。