外国人に地方参政権を認めている国は、日本以外にない
世界中のまともな国家の憲法は、「社会契約説」に基づいて作られています。その土地に住んでいる人々が集まって、自分たちが本来持っている権利の一部を差し出して新しい国家を作る契約をした、とする説です。この契約に参加した人が国家のメンバー(国民)であり、彼らのみが国の運営に参加(選挙権)できます。
世界中のまともな国家の憲法は、「社会契約説」に基づいて作られています。その土地に住んでいる人々が集まって、自分たちが本来持っている権利の一部を差し出して新しい国家を作る契約をした、とする説です。この契約に参加した人が国家のメンバー(国民)であり、彼らのみが国の運営に参加(選挙権)できます。
日本の野党が浮世離れしているために、二大政党制がうまく機能していません。この原因も、日本のマスコミが「国家は悪いことをする。だから国家が強力...
「両極端を排して真ん中に立ってものを考える」というのは仏教の考え方です。「中立」「極端」という言葉は仏教用語です。中立を標ぼうする「中央公論」という有名な雑誌は、仏教を学ぶ学生が創刊しました。
普通に生活をしていても僧侶として通用するのなら、「ものを捨てるという行為を実際に行う必要はない。心の持ち方を変えるだけで良い」、ということになります。
仏教の経典は、出家して社会を離脱することがどれほど素晴らしいことか、また俗世間がいかに低俗な欲望に満ちているかということを、大いに力説しています。
普通の人は、極楽浄土に行ければそれが終点で仏教の目的は達せられたと誤解しています。しかし本当は、「普通の人は生きるのに忙しく修業が出来ないので、極楽浄土に行ってから本格的に修業をしよう」、ということを浄土宗と浄土真宗は説いているのです。
平安時代、比叡山延暦寺の僧兵は、修業もせずに合戦ばかりやっていました。彼らは自分たちの行動を、「自分たちも本当は仏様なのだから、これ以上修業する必要はない」と説明していました。
家族という「もの」を持ってしまえば、それがなくなった時に「苦」を感じてしまう、とおしゃか様は教えています。ところが今の日本の僧侶はほとんどが結婚しています。彼らは、出家は何のためにするのか、ということもわからなくなってしまったようです。
支那人や朝鮮人は心の内面よりも外観を重視する民族なので、心の宗教である大乗仏教は本当は彼らには合いません。
大乗仏教は、俗人を相手とする宗教なので、修業をしなくても「苦」から逃れることができるという教義を作りました。修業しなくても神や仏が助けてくれるから、苦から逃れることができる、ということです。