朝日新聞の主張は、大乗仏教の教義から来ている

朝日新聞の主張を整理すると、下記のようになります。
1、現実社会で暮らしている者たちは、欲望を抑えきれない。だからこのような者たちが集まって作っている国家は悪いことをする。朝日新聞は彼らを導いて、この世を浄土にするのである。そのためには「ウソも方便」と割り切らなければならない
2、いかなる理由があっても、争ってはならない
3、人間はみな同じで、個性や民族の違いは存在しない

実はこれらの主張は、大乗仏教の教義そのものです。大乗仏教は1300年以上前に日本に輸入されましたが、江戸時代までの日本人は神道と仏教を使い分けてきました。現世は神道の考え方で律し、亡くなってあの世に行った先祖たちの扱いは仏教に委ねていました。

例えば、結婚するとか子供が生まれたとか、社会に新しい仲間が加わった時は、神前で儀式を行います。また、合格祈願とか家内安全など現実社会での幸せを願うときも、神道の神様に祈ります。一方で、人が亡くなりあの世に行った後のことは、仏教に任せています。日本人は、今でも神道と仏教の使い分けが基本的には出来ています。

しかし、明治になってから、仏教の考え方が日本の現実社会に影響を与えるようになりました。その一番大きな原因は、大日本帝国憲法が自由と平等という権利を国民に保障したことにあります。

FreedomやEqualityという西欧近代社会の原則を、明治人は自由及び平等と訳しました。実はこれらの言葉は、日本に昔からあった仏教用語だったのです。日本人はFreedomやEqualityという社会の大原則を、仏教の教義によって解釈するようになりました。

そのため、江戸時代まで神道と仏教の間にあった使い分けの壁に、風穴が開いてしまったのです。特に敗戦後は、神道の影響力が薄れ、仏教の発想が極めて強くなってきました。そういう時に学校が子供たちに、盛んに自由と平等の考え方を植え付けました。その解釈が仏教式だったのです。

朝日新聞の主張が大乗仏教の教義そのものになったのには、このような経緯があります。もちろん朝日新聞の記者たちは、仏教に関する知識がないので、自分たちの発想が大乗仏教の教義だということをまったく気づいていないでしょう。

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