日本は、アジアのリーダーとして欧米に対抗しようとした

『昭和天皇独白録』を読むと、昭和天皇が実に英明であられたことがよく分かります。複雑な国際情勢について大臣・重臣たちの報告を聞き、実に的確に状況を把握しておられ、偏った判断をされないのです。この優れた理解力と判断力は、先入観を持たずに物事を平明に見つめることから来ているように、拝察しました。

このように英明な昭和天皇が、1918年のパリ講和会議で日本が人種差別撤廃案を提案したことが大東亜戦争の原因だ、とはっきりと述べておられます。多くの日本人は、「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である」と自慢げに語っていますが、昭和天皇はまったく違う印象をお持ちだったのです。

天皇陛下のご発言について、昭和史研究家の半藤一利が、下記のような注を加えています。
「日本は、有色人種の立場から2月13日に“人種差別撤廃”案を提出した。しかし、さまざまな外交努力にもかかわらず、日本案は4月11日に正式に否決された。日本側の世論は、この報に一致して猛反対でわき上がった」

当時の日本は日露戦争で勝ってから13年後であり、幕末に欧米列強と締結した不平等条約はすでに改正されていました。第一次世界大戦では戦勝国となり、国際連盟の常任理事国にもなるところでした。

国家としての日本は欧米列強から差別されておらず、むしろ近代化された社会と軍事力とで列強からも一目置かれていました。アメリカが日本人移民の受け入れを拒否し、個人的に欧米に旅行して人種差別される程度で、日本全体として考えれば、大憤激するほどの実害があったわけではありませんでした。

注に書かれているように、日本は「有色人種の立場から」、人種差別に反対したわけです。当時のアジア諸国の中で、まともに独立しているのは日本だけで、あとは欧米列強の植民地や半植民地でした。

日本はアジアのリーダーを自認していて、アジア全体を欧米列強の圧迫から解放しようと考えていたのです。この背景には、「日本とアジア諸国、とくに東アジア諸国とは、漢字・儒教・仏教などの文化を共有している。だからお互いに理解し合えるから、同盟を結んで欧米に対抗しよう」という大アジア主義がありました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする