敗戦の翌年の昭和21年に、昭和天皇は5人の側近に対して、敗戦までの経緯を語られました。その内容を寺崎英成が文章にして残したのが、『昭和天皇独白録』です。側近の5人とは、松平慶民、松平康昌、木下道雄、稲田周一、寺崎英成で、みな天皇陛下のお世話をする宮内省の役人です。
寺崎英成はもともと外交官で、日米開戦の時はワシントンの大使館勤務でした。彼はアメリカ人のグエンドレン・ハロルドと結婚しマリ子という一人娘を得ました。寺崎は東京の外務省と頻繁に電話連絡を取っていましたが、その時に日米関係を意味する暗号として「マリコ」を使いました。「昨夜は、マリコは元気でした」というようなぐあいです。
NHKは1981年に、開戦前のワシントンと東京のやりとりを、「マリコ」というドラマにして放映したので、記憶のある方もおられると思います。寺崎が書いた『昭和天皇独白録』は、彼の死後妻が保管したままになっていましたが、1990年にアメリカの歴史学者がその価値に気づき、出版されて一般に知られるようになりました。
昨年、この原稿がオークションに出た時、高須クリニックの高須院長が3000万円で買い取ってひとしきり話題になりました。
この本の最初が「大東亜戦争の遠因」と題している一節で、下記のように書かれています。
「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州(カリフォルニア)移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである」
1918年、第一次世界大戦後のパリ講和会議において、国際連盟の規約に人種差別の撤廃を明記するべきだ、と日本が主張しました。この提案は、イギリスの自治領だったオーストラリアやアメリカ議会の強硬な反対で否決されました。
昭和天皇は、国際会議で人種差別撤廃案を提案したことが大東亜戦争の原因だ、と述べておられるのです。