日本の伝統的な宗教は神道と大乗仏教の二つです。一つの民族が二つの宗教を信じているというのは非常に珍しく、ほとんどの国は一つの宗教の勢力が突出しています。支那の主要な宗教は道教で、欧米はキリスト教が突出し、インドはヒンドゥー教です。
日本人が二つの宗教を同時に信じていられるのは、仏教と神道の目的が全然違うからです。神道は、この世で人々を幸せにするためにあります。仏教はこの世での物質的な幸せを相手とせず、苦から逃れることを目的としています。
この世でものへの執着を断ちきり苦から逃れることは難しいので、日本の大乗仏教は死後に極楽浄土に行きそこで修業して目的を達しようとするようになりました。このために日本の仏教は、あの世を担当するようになりました。
実際日本人は、結婚式・お宮参り・社会的な成功祈願(合格祈願、家内安全、商売繁盛)などというこの世の幸せを祈る儀式を神社で行い、百姓一揆や明治維新という現実社会の変革運動も、神道の考え方に基づいて行われました。葬式・法事・墓参りなどあの世での心の平安を願う儀式は、仏教寺院で行っています。
ところが明治になって、この使い分けが怪しくなってきました。大日本帝国憲法で自由と平等を国民の権利として保障しましたが、この言葉が仏教用語だったために仏教の考え方でこの世の社会を考える傾向が生まれたのです。
さらに敗戦によって、「日本が無謀な戦争を行ったのは、神道のせいだ」ということになって神道の権威が著しく低下し、その代わりに仏教の人気が上昇しました。そして仏教の発想で社会を考える傾向が強まりました。
日本が今抱えている様々な問題は、大乗仏教の発想で社会を考えているために起きています。我々はこの問題を解決するために、神道と仏教の住み分けが崩れたのを、元に戻さなければなりません。つまり大乗仏教の考え方でこの世を考えることを、止めなければなりません。