人間はみな同じ、と考えるのは日本人の弱点

大乗仏教は、人間の人種・性格・能力などの違いを一切認めようとしません。差別のない世界は人間の理想ですが、問題が無いわけではありません。

こんなことを言うと気分を害される方がいるかもしれませんが、個々の人間を比べると明らかに差があります。まず親が違います。和やかな家庭に生まれたか否か、経済的に豊かかなどの違いによって、その人の人生が大きく違ってきます。

容姿・性格・興味の方向・能力・性別・人種・国籍など、人はそれぞれ明らかに違いがあります。このような違いを無視して「人間はみな同じだ」と考えるのは、現実を見ていない偏った考えです。

優れた能力を発揮して世に認められ大活躍している人の多くは、幼いころにその才能を親など周囲に認められ、大事に育てられています。逆に言えば、周囲に人間の個性を認める人がいないと「変な子だ」と思われるだけで、せっかくの才能が押しつぶされてしまいます。このような経緯で「ただの人」になってしまった例は、多いです。

日本は「人間はみな同じだ」という大乗仏教の影響を強く受けているため、個性を伸ばすよりは潰す傾向のほうが強いと思います。最近は少しずつ良くなっていますが、まだ不十分です。

もう一つ「人間はみな同じだ」という考え方には大きな問題があります。それは対外的な交渉能力が著しく低くなるということです。世界の民族はそれぞれ考え方が違うのに、それを無視して「彼らも我々と同じことを考えているはずだ」という思いこみを持つと、とんでもないことになります。

個人的には優れた外交能力を持っている人がいても、社会全体が「人間はみな同じだ」と考えていると、世論の圧力でその能力を十分に発揮できません。日本人は過去に、支那・朝鮮やアメリカとこのやり方をして見事に失敗しました。「人間はみな同じだ」と考えるのは、日本人の弱点です。

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